VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

作用と反作用

小さな頃、扁桃腺を腫らして

病院へ連れて行かれることがよくありました。

 

飲み薬はピンク色のドロッとした甘い液体で

瓶から計量して原液で飲むものでした。

 

もう少し大きくなってから粉薬や錠剤になり

風邪を引くたびに処方される病院の薬を

なんとか頑張って飲んでいましたが、

風邪の後半は、薬を残すこともありました。

 

それは、症状がもう軽くなっているため、

飲む気になれないからではなかったかと思います。

 

10代の頃、薬には副作用があるということを知りました。

これは、私にとっては印象的な知識でした。

 

病気は薬があれば治すことができると思っていたからです。

 

頼みの綱である薬にも害があるとは・・・。

 

一体どうすればいいの?と思いました。

 

治すという一つのはたらきを得て、身体の負担も得る

というのが、なんとなく納得いかなかったのです。

 

 

そのうち、私の身近にはなかった

「手術」「不治の病」「がん」「白血病」と言った

言葉をテレビから聞くようになりましたが、

病気の恐ろしさや絶望的な悲しみを感じました。

 

 

その後、手術や放射線治療抗がん剤のような

主流となる方法が情報として入って来た時、

それはよかったし、画期的かもしれないけど 

肉体には激しい方法のようにも感じました。

 

 

悪くなったものをどうにかするために

良いものまで傷つけることになるなりゆきは

最高に良い治療には思えませんでした。

 

 

どうも そこにも大きな副作用は伴うようでした。

かなり忍耐を要する闘病生活があり、

身体と心が受け止めるのに過酷な経過があります。

 

 

そして「自然治癒力」というのを知りました。

 

 

いくら手術しようとも、良い薬があろうとも

その後、治っていくのは、自然治癒力があるから。

 

 

これは忘れてはいけない事だな、と

そのとき思ったのを覚えています。

 

 

主役は治してくれる方法やお医者さんではなく

自分に備わった自然治癒力と自分であるという感じが

無理なく受け入れやすく感じました。

 

それぞれの「生命力」を尊重し、大切に扱うような

姿勢があって、自分の体を人任せにせず

自分を大切にする意志を強く持つことにもつながる

ところが治癒に結びつく要素として感じられ

なんとなく 大切なことを知った気がしました。

お医者さんもそういうことを踏まえて大切に人を

扱ってくれる人でいてくれるように願いました。

 

 

 

それから薬はなるべく飲まないようにしたほうが

良いと思うようになりましたし、健康に関心を持ちました。

 

 

何事も 作用と反作用があって、

一方だけで終わることはないならば

良いことをしたつもりのことに対して

反作用がどのくらいのものか 

時々 疑い、見当をつけてみることが

心身に関わるための選択をする時など

情報やアドバイスを集めるときにも

有効ではないかと 思っています。

 

 

それでも 過去に店員だったころ、

職場で急に頭痛と発熱のような症状が出てしまい

人手が足らない日で早退するのも気が引け、

普段 薬を飲まない私もついに

近くの薬局に駆け込み、風邪薬を買いました。

勧められたのはアンプルに入った液体でしたが、

しゃがみ込んだら立てないくらいの体が

30分後には、何事もなかったように軽くなり

通常勤務しても翌日もそのまま出勤できる体調で

とても驚いたことがありました。

 

 

若いころの私には、今よりもっと知識がなく

自分が具合悪くなってから、本を読んだり

自然療法を知る方に教わったりしていました。

今では便利に調べやすくなり、誰でも

受け身のままではない選択をすることが

可能な世の中だと思います。

 

 

 

良い作用があるとされているものの

悪い作用、困った作用があることを少しでも

頭に入れて選んでいくと、ときには

八方塞がりに感じ、立ち往生してしまうこともあります。

 

 

それでも 僅かながら

あまり反作用を感じずに済むようなものも

存在していて、そういうものは取り入れてみて

とても助けになるものだと感じています。

 

 

古くからある療法だったり

海外では有名なものだったり

安全性と効果が公正に認められているものは

自分の周りの人は知らないかもしれませんが

存在していて 意外と活用されています。

 

 

それがどういったものなのか関心を持ち

成り立ちと心身に対する影響を体験しながら

情報を集め、実践していると大きな不安に

陥ることは減りました。

 

 

例えば、私にとってはホメオパシーです。

有機栽培の作物を食べるのもそうです。

他にもまだ名前だけ知っていて、試してみたいと

思うようなものもいくつかあります。

 

 

人間だけでなく身近な生物にとっても

良いことの方が多いという点でも

こういった、自然治癒力を力づけるものは

長い目で見ても根本の生命の幸せに対し

貢献してくれるものだと思います。

 

 

美味しく食べて来たはずが

アレルギーで好物を諦めたり

 

アレルギーが治っても

調子良くない食べ物の代わりを探したり

 

食べなくなったものは食べ物の命よりも

人工的な何かの方が多くくっついているものと

知識が持てたのは幸いでしたが、

身体を治すために人より長い時間を要したので

今は もう食べ物を何の考えもなしに扱うことは

できなくなったという経緯もあります。

 

そんな経験から

健康に関わる作用の反作用について

人並み以上に気にするようになった私ですが、

今もなお、良いと思って取り入れて来たことでも

違ったかもしれないと思うことはあります。

 

その時の体調には良かったことを

ずっと変えずに続けて、不調につながったことも

経験があります。

 

その時は、あーーーと、無念に思うのですが

すぐ方向展開するわけにも行かなくて 少し

苦しい思いをすることもありました。

 

結局は 方向修正するメリットの方が大きいので

徐々にでも、再び 変えていくことになります。

 

悩みながらでも、経験によって養えるものと

より安心な知恵を得て、先へ進もうということになります。

 

 

人それぞれ、判断する基準を持っています。

直感でわかることが多い場合もあるでしょうし

データを読み取ることで見えてくるものを元に

確信を持てることもあるでしょう。

 

 

常に 作用反作用を考慮に入れていると

安全なことしかしない傾向に向かうかもしれません。

 

 

けれども 生きている間

幸せを感じていたいし、感謝と落ち着いた精神でいたいし

自分と身近な人にとって、なるべく後悔のない選択をし

心から笑っていられる未来を想定すると

頭から外すことが できなくなりました。

 

 

人類の肉体的な進化は大きくは変わっていなくて

地球や自然環境の方が人間よりもはるか昔から存在し

その中でしか生きられず、その作用の中で生きている。

 

本来 生命が感じている自然の摂理を

積極的に意識することで 身を守ることができたり

本能的な判断ができたりすることがあると思います。

 

 

情報と選択肢が増えるとき、混乱し、悩みながら

静かに立ち帰る地点でもあります。