VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

ほぼベジタリアン⑵

アトピー性皮膚炎が落ち着いたとはいえ

食べ方を戻せば半年でまた発症すると

体感した私は、

世の中と折り合える情報もないまま

食生活は答えのでない課題になりました。

 

 

そのうち、甲状腺の腫れが見つかり

手術しか方法がないと言われて

信じられない気持ちでした。

自分の人生でこういうことが

あるとは、ストーリーとして

合ってないなと思っても 

落ち込まないように腹を決め

もうまな板の鯉だと

思うようにしていました。

 

 

それが、手術の1週間前になって

同僚のお母さんが

「手術する前に、行ってみたら」

と、民間療法の道場を紹介してくれました。

 

 

まな板の鯉の準備は進んでいたので

思わぬことに少し迷いましたが、

両親とともに主治医に話し、

引き続き診てもらえるようにお願いし、

取っていた休みを使って

体験しにいきました。

 

 

天井が高く広くて 

床は柔らかい色のカーペット

きれいな音楽が流れて

数人の人の声がしました。

 

そこでは、まず

2時間くらいずつくらいの講義を

初めに4日間ききました。

 

その中で初めて聞いたのは

身土不二

一物全体

といった、古くからある言葉

 

自然治癒力

といった、自己治癒力を高めるための

知識でした。

 

 

それ以外は、午前、午後好きなときに来て

音楽の中で体操をしました。

 

座禅のような姿勢で座ったところから

呼吸を整え、身体の力をどんどん抜いていき

そうして生じた動きを邪魔せず

とことん動きに任せてみる方法でした。

 

私たちが就寝中に寝返りを打ったり、

心臓の動きや呼吸が途切れないように

気づかない身体の動きがあり

そうした無意識に行われている中に

心身を修復しようとする働きが

あることに着目しています。

目的を持って体を動かすのとは逆に

いかに身体の動きたいように任せるか、

リラックスして自分を信頼するかに

向き合う時間でした。

 

日常では、あまりリラックスする暇もなく

休憩するのも状況的に本心を出せなかったり

自分で考えてコントロールしたり

自然な動きよりも状況に合わせることになり

呼吸も浅く、疲れをためていくことが多いので

それが続いていく先に 不調を入り口として

身体が病気になっていくのは

イメージできると思います。

 

私の動きは、体全体を床に伸ばして

ゴロゴロしてから寝てしまう時もありました。

思わぬ方向に体を曲げることになり

痛くて動きを制限してしまうことも、

首をいろいろな角度で振ったり、

首に負荷のかかるブリッジの形で

キープすることになったりもしました。

きれいになった肌でしたが

甲状腺の一帯と脇にかけては

アトピー症状が出て来ました。

 

 

そこに通いながら、

家では玄米を炊き、野菜スープを作って

汁だけをお茶のように飲みました。

道場に行った時の外食は、お蕎麦。

それも血管を丈夫にする栄養が取れると

教わったからです。

食事を限定した生活が

再び始まりました。

 

 

病院では、腫れた甲状腺の検査をし、

行くたびに少しも小さくなっていないのを

先生と確認して、薄暗い気持ちで帰りました。

 

 

半年後、初めて

0.5mm四方の縮小が見られました。

そして何回かごとに

1mm・・・1.5mmと

認められるようになり、

先生も一緒に喜んでくれました。

 

 

 

そして

1年半か2年経たないころに

「完治」と言ってもらえました。

 

 

とてもうれしくて

病院から母に電話しました。

 

 

その日、帰りがけの先生の言葉は

今も覚えています。

 

 

 それまで特に私のやっていた療法を

詳しく聞こうとされなかった先生が、

「やっぱり、海藻類を食べたりしたの?」

とボソリと尋ねられました。

私は複雑な気持ちになり、ためらいがちに

「そうですね・・・。」

とだけ答えた、そんなやりとりです。

 

 

海藻とかヨードとか

甲状腺に関係するワードなのは

知っていました。

ただ、私は道場で教わったこと、

人間や自然の摂理や古来の知恵で

海藻もとった方が良いようだったから

食べていました。

 

 

甲状腺との関係で

医学的にどういう扱いなのか

私はよく知りませんでした。

 

 

先生が何を本当は言いたかったのか

うっすらと感じるものがあっても

とっさに確認する言葉が見つからず

会話はそこで途切れました。

 

 

 私としては、人間と食べ物の関係が

もっと医学でも研究されていても良いのでは?

と思うようになっていたゆえに 

最後になってなんとなく種明かしのように

聞こえてしまった言葉には、

私がどうやってここまで治ってきたか

先生に語る気持ちはなくなっていました。

 

 

半年、一年と検診間隔は長くなり、

やがて行かなくなりました。