VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

「知恵」を選ぶ

朝から

時間の流れや周りの動き、人との関わりが始まり

自分の心や体の声とは関係なく 起き出し動き始める

 

ひと段落しても頭の中に

今日をいかにこなしていくかの方向で巡らす

思考の波と焦りや緊張があって 途切れることなく

何かしなければならない気持ちでいっぱいになっている

 

だけどそれを

もしもなかった状態なら、本来何を考えているのか

何を思いついてそこから繋がる思いや発想にどんな気持ちが

生まれているのかと思った

 

世界のすべてが陰陽にに分けてしまえると考える説もあるが

そうなら、焦りと緊張に張り詰めているわたしは

自分らしく元気に生きている人の対極のようで

「陰」の側を生きていると言えるだろう

 

仮に 多くの人々の中で今のわたしが自分を「陰」だと

感じているとして

 

一人でいるときの自分を ずっと「陰」だと

感じていられるだろうか?

また、わたしより「陰」に見える誰かの前で

わたしはどうなるのだろうか?

 

そんなことを思い巡らせながら

呼吸が落ち着いてきて 気持ちが軽いのや

足取り緩やかに歩いている自分を心地よく感じ始めた

 

さっきまでわたしの頭が追い求めていたのは

わたしを消費するように使っていく何かだった

 

自分には何もない気がするとき、

何かに使われても 自分が何かしたことのカウントを

増やしたくなってしまう。

無意識に。

 

でも 今 求め始めているのは、「知恵」だ。

より良くしたいと望むものの腰の重い人間が

喜んで歩み出し、生きる喜びに近づくと感じられるような

割と普遍的な大小の知恵である

 

 

「知恵」を求めているわたしは

「わたしはこうしたい」「わたしはこうなりたい」がある

 

 

たぶんこのとき直感的にもなっているのだろう。

 

 

ボーッとする隙間を作る意味があまり見出せなくて

瞑想することもなく 一日が過ぎてしまう方なのに

 

わたしにとっての一つの入り口みたいなものが

見つかった気がした

 

 

日々わたしは、「知恵」に助けられているし

実はそれを考えている時間が長いのではないだろうか?

 

 

思考の「陰」から「陽」に転じられるのは

「知恵」にアンテナを巡らせているとき!

 

 

不充分ではあるけれど

今のわたしの言い方だとそういうふうになる。

 

 

「知恵」を求める気持ちは前向きだから

固まっていた思考も感情も変化していくことになり

焦りと緊張で見えなくなっていた目の前に

風が入り、陽だまりができていく

 

 

勇気に押されて歩み出す一歩の

小さな怖さとワクワクがある

 

 

それは心地よい感情。

 

 

それが本来の人間らしい姿で

自分らしいと感じられた。