VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

一歩引く

そろそろ寝たいと思う時間になって

洗濯をし残していたことに気づいた。

 

これから洗濯機を回したり

手洗いしたりしていたら、

一時間以上かかるだろう。

 

それでも 洗濯カゴを空っぽにしたい為に

お腹の中にじりじりとした嫌な気持ちを

湧き立たせながら自動的に手を動かすのは

いつものことだ。

 

思考のせめぎ合いの末、そんな自分の落ち度に

がっかりしながら、イライラしながら、モヤモヤしながら

なんとか元気を出してやり遂げていた日々。

 

そんな残業のような状態について当たり前に

思っていたけれど 疲れが溜まって翌日に持ち越すことが

嫌になってきて、時々は自分に課すのをやめるようになった。

 

ある時は力尽きて無念にもやめて、

ある時はやる気がなくなってやめて、

ある時は時間がなくなってやめて、

できなかったということを引きずりながら

その引きずっていることに疑問を抱いたのが

始まりかもしれない。

 

 

 

 

今日も、やり終えるつもりだったのに

放置していたそれを 見つけてしまった。

(心地よく一日が終わるはずだったのに。)

 

もう何度も「やめる」ことができていたから

あまり長く考えずとも

「今日はもうやめよう」と思えた。

 

そうしたらもう、やらない世界を濃くしていこう。

 

明日の洗濯量は増えてしまうが

なんとか干せるだろう。

 

自分の時間に置き換える方が何倍も

明日に良い影響を及ぼすはずだ。

 

 

 

早々に歯磨きを始めた自分を心地よく感じ、

この 落ち着いた気持ちになる選択をしている姿は

突き進まずに一歩引いている状態だと思った。

 

わたしには、ついつい

突き進んでしまうよくないところがある。

 

人間関係においても、自分に余裕がないのに

人の話を聞いてしまったり、人のことをしようと

しがちなところが抜けない。

 

そういった自動的な動きから脱却するのに

ちょっと苦労している。

 

冷静になるよりも自分の負の感情に

引っ張られていくような感じだ。

 

言わなくていい時にも

やらなくていい時にも

 

今言わなくてはいけない気がして

今やらなくてはいけないような気がして

 

無理をするしかなくなっていた。

 

その結果、悪循環にはまり

あれこれうまくいかなくなっているのに

どうにもできない自分になっていた。

 

 

 

でも今気づくのは、自分が無理をするのをやめ

気持ちもスッキリしていること。

 

自己犠牲的に進んでしまうパターンから

一歩引くことができるようになっていること。

 

よくない方に突き進んで、

そのまま突き進んでもうまくいくはずもなく

自分で気づけないままだったところから

少しずつ、変わっていたんだと気づく。

 

この変化は小さなものかもしれないが

変わっているという小さな実感は喜びで感動だ。

 

 

そういえば 人間関係においても

数々の後悔を経たことは、一歩引くことが多くなった。

 

そうしていたら、自然に休む時間ができて

意識は自分に良いことをする方に変わり始めた。

 

それまでのわたしは

自分のプライベートタイムは、一人で過ごし

無防備な姿をあまり家族もに見せたくなかった。

家族の前ではいつも何か家事をしていなくては

いけないかのように落ち着かなかった。

 

今日のわたしは、

洗濯を明日に回してできた時間に

このブログを書くことができて幸せで

 

しかも家族のいるリビングで

椅子に立て膝で座り、その膝に顎を乗せ

顔をしかめたり、首を傾げたりと

自分の世界にはまり込んで

寝る前の一時間を過ごした。

 

 

変えたいと感じていることも、

変えなければならないと思ってしまうから

抵抗が大きくなって結局思うようにならなかった。

 

その途中にある ちょっとした動作が

わたしの中にだんだん染み込んでくれて

いつの間にか わたしの思い込みを

緩めてくれていたんだと思う。

 

わたしは喜んでいる。

あくびをしながら、幸せである。