VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

言葉のストック

人は自分のためにだけ生きていくことは

できないものだと思います。

それは、実は長くは続かないものかと。

 

自分一人のためなら、心のまま。

言動の結果は最終的に

自分の見え方次第です。

 

でもそれが、他者のことを考えた場合

現状をより良く、楽にするために

 

自分のペースで発する全てのことが

そのままでは適用せず、随時

見直しが必要になってきます。

 

家族の一員としてサポートしている中でも

日々、そんなことがあります。

 

家族の持っているペースが違うことを

理解する時間も 必要です。

 

自分だったらこうするのに

自分ならこうして欲しいと

いう観点で考えても限界がきて

 

言葉で伝えることで改善されるのは 一部。

何か地味に変化を起こすことが有効です。

さらに相手を知ることや

今持っていないパターンの思考回路を

取り入れて、だんだんと変えていくこと。

 

自然に無理なく変えていけるのが理想です。

 

 

それでも私は 相手への言葉がけで

なんとかしようと試みてきました。

 

「自分の感情を落ち着かせ

相手の様子をうかがい、

イライラさせないように気も使って、

最低限の言うべきことを言う」

 

 

家族はとりあえず適切な行動を取るべく

取り組む姿を見せてくれます。

 

これは、ケンカにならないように

無難にすませている姿でもあります。

 

常に家族を気にかけている状態ですが

本人たちの中では当事者問題ではなく

一過性の事柄に 過ぎません。

 

 

なんとかなっているように見えても

いずれ放置できなくなることです。

 

 

私も余裕がない時には

家族に気を遣う気力が失せます。

 

 

いつものようにサポートできないと

家族の空気が悪くなるように感じ

苦言を漏らして、さらに悪化する事も

感情的に伝えて失敗に終わったことも

たくさんあります。

 

 

今朝もまた

一言言いたいのを回避したものの

言葉の限界を感じていました。

 

 

私の中のエゴと思いやりで

思いやりの部分がどうしたら伝わり、

相手の日々がより楽になり、

本人が自主的に元気になれるか

 

これ自体、エゴでもありますが

家族ならではの気持ちです。

 

そんなふうに思い巡らせていたら

自分が親に言われてきたことが

そのときの声のまま蘇ってきました。

 

 

それは、受け取った私が

カッと怒り出して喧嘩になったり

悲しい気持ちや卑屈な気持ちになったり

追い詰められた気持ちになったり

した言葉でした。

 

 

これらを使えば

誰でも私と同じような暗い気持ちに

なるだろう言葉たち。

 

今でも反射的に使ってしまう言葉。

 

私の中に役立たずの古い言葉が

あるのを感じました。

 

 

私は無意識にこれを使って失敗を

繰り返すことがあります。

 

 

ああ。

言葉のストック。

今の私は

こんなのしか持っていないんだ。

 

持っているものしか出てこない!

 

 

あらためて振り返ると

同じような言葉を使って

同じような流れを生み出し

納得のいかない結果に終始している日々。

 

 

私の「言葉のストック」は

使う価値のないものが幅を利かせて

私の生活の質を落としていました。

 

 

 

 

高校生の頃

読書好きな私は、

図書館などで本を借りると

気に入った文章をノートに

書き出していました。

自分専用名言集のようなものです。

 

 

「一房のぶどう」(有島武郎・著)の

文章に感動し、全文書き写すことになったのが

きっかけだったかもしれません。

 

宮本武蔵」では、成長していく武蔵の

心の動きも心に何かが刻まれますが、

物語の終わりに置かれた

武蔵の達観した心理描写の比喩が 

たまらなく深く思えて何度も味わいました。

 

 

漫画のキャラクターが敵から逃げつつ

危機的状況と無関係なユーモアを立て続けに

繰り出すのに魅せられ 心の支えでした。

 

 

そこには、何をどう捉えたら

物事が明るい方へ動かせていくのかという

試行錯誤から磨き上げられた

胸の奥に光を灯す知性と人間愛がありました。

 

書き溜めて 何度も読み味わったノートは

卒業してから、だんだん書かなくなり

大人になってあるタイミングで捨てました。

今そのノートを持っていないことに後悔はありません。

 

 

 

書いていたときの私は言葉の持つ力に

とても敏感になっていたと思います。

そのため、言葉の失敗が少なかったし

厳しい寮生活の中で下級生にきついことを

言わなくてすんだ気がします。

 

 

その経験から、自分の持つ言葉は

意図した言葉を集めることで変えられると

思っています。

 

 

私は、物事がより良くなる感じがとても好きで

そういうインスピレーションで選ぶことが多いです。

 

 

昔、「ヤバイ」という言葉が流行り始めたころ

人が使っていても、私は使うのが嫌でした。

 

ところが最近は、どんな状況にも

「ヤバイ」で対応可能なご時世になり

ある時から、使うようになりました。

 

うっかりした時、失敗した時、イラッとした時・・・

使い始めると、世の中のスピードと同調し

コミュニケーションでも親近感につながって

孤独が薄れる感じがしました。

 

 

しかし、私は「ヤバイ」は使いたくなくなっています。

 

 

「ヤバイ」は使うほど、なぜか「ヤバイ」と思って

「ヤバイ」を使う状況が増えてきているからです。

 

 

多少無理にでも

「ヤバイ」時には

「ラッキー」と言うように変えようとさえ

思い始めています。

 

 

ノリで使ったとしても、だんだんと

自分の中に染み込んで「ヤバイ」状況が

日常の世界観に変わりつつあるのを

感じ始めているからです。

 

 

極端な感覚かもしれませんが

「言葉のストック」には力があると

たびたび感じさせられます。

 

まず自分がよりよく元気になれる言葉を

ストックし続け、元気になれない言葉が

存在感をなくして入れ替わっていく・・・

 

 

時間の許す限り心に留めたいことの一つです。