VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

背中で見る

私は 挑戦します。

 

子どもに

聞かせる言葉は 

穏やかな気持ちになれるものだけに。

 

生まれ育った環境を思う時、

そこに引き戻されるような苦さはいらない。

 

毎日、ここまでがすでに

いろいろな思いを飲み込んで成長してきた。

 

その上で尚、畳み掛けるように聞こえる様々な言葉が

自分の呼吸を感じる時間をなくす。

 

生まれた時に ありがとうしか言う事がなかった。

生命が輝いて、毎日 大きくなった。

 

これから起こるであろう成長過程の通過に

言いたくないことを言わなければいけないか否か

頭の隅に引っかかっていた。

 

一生懸命、与えるならよい影響を与えたいと思って

無い頭で考えて、小さな心で先行きを案じながら

間違いたくないと思って進んできた。

子どもが成長すれば、何度もお手上げな気持ちになった。

 

ただ楽しく、ただオリジナルの関係で

毎日が豊かに過ぎて欲しかった。

 

それだけでよかったのかもしれない。

 

親の役目の正解を私はどこかに描いていた。

人と比べて 頑張るべき点を見つけた。

ずいぶん頑張ったけど、私たちは笑顔を減らした。

 

 

再び 笑顔を増やしたものは、趣味のような

どっぷりと自分の時間に浸れるもの。

言葉を交わす時間は減り、子供の笑顔は増えた。

 

 

もう一度

ただ楽しく ただオリジナルの関係を

思い出せそうになった。

 

 

未来への道中で、

どう歩いていくかを手探りしている時、

もう歩いてしまった大人の言葉は

威力がない方が良いのだろう。

 

 

背中を押すか、成長を促すか、良さを引き出すか・・・

それができないなら、

笑わせるか、リラックスできるか、元気になるか・・・

それができないなら、

何も言わないほうがマシである・・・。

 

 

穏やかな気持ちになれる空気と翼を休めて英気を養える環境・・・

それだけでいいんじゃないか・・・。

 

 

お手上げな気持ちになる時、

うまく言えない気持ちを結局 伝えようがない時、

それでも、このままではいけないと気が焦る時、

 

無理をしている自分が少しずつ見えていた。

 

私の思いとは全く違うトーンで今を生きている子ども。

その空気を背中で感じながら、言葉を選ぶ私は

何の言葉も適切ではないと感じている。

 

相手が何気ないことを聞いてきて やっと

いつもの私が何気なく喋る他愛もない事が言えた。

 

私の中の葛藤している言葉を出していないので

空間に出た言葉は、呑気に日常を送っている人のように

特に印象にも残らない平坦なもので、干渉を含まなかった。

 

私が育った環境には、干渉がいっぱいあった。

それが普通で、それに文句を言うと

感情をぶつけられ、何時間も気持ちが乱れた。

 

その記憶は長く残っている。

声も感情も思い出し、何度でも蘇る。

親と自分の行動が影響しあっているイメージ。

家庭の中に潜在する 虚しさや不安を感じていた。

 

 

私はずっと、それとは違う道を行きたかった。

だから そのために努力した。

かける言葉をなくしたら、

親としてどうにもならない焦りがあった。

私が聞いてきたような聞きたくない言葉しか

私の頭の中にも残らなくなっていた。

 

今、見えていたのと違う道に差し掛かった気がしている。

 

私は、子どもではなくて自分の前を見ようとしている。

そして今日、私は背中で子どもを見ていた。

 

子どもの態度によって 背中で語ってしまっているかも

しれないが、背中を向けた時、私は語る気持ちから

見る気持ちへ変えていきたいと思う。

 

 

私の親が私のことをわからなかったのと同様に

私も子どものことをわかる親とは言えない。

 

こうやって日々 スタンスを確認しつつ、

親も子もいい表情でいられたらいい。

 

 

数日後、さらに交わした言葉が減った。

 

その代わり、子どもが考えている事が

見えやすくなった。

 

本当の気持ちが見えると、また更に多くの言葉を

言う理由がなくなった。

 

私が伝えたことは子どもの体を案じてのことだけになった。

 

続けよう。

 

少し溝ができたようで寂しい気持ちもある。

でも、子どもが楽なほうがいいだろう。

 

挑戦である。