VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

悲しみを癒す 

何も特別に大きなこともない

そして予定も決まっていない朝なのに

不安とも呼べるような生気を奪う感情が

心の中を占めていて、時間が過ぎて行く。

 

わたしは

何かしなければと焦り出す。

 

 

何かって?

 

 

有意義だと思えることを

朝のうちにやっておきたいことを

家事を 食事の準備を 

それより心落ち着く何かを

深呼吸を 散歩を

 

 

そんな考えのどれにも絞ることができない

 

とにかく何かしなければと思うものの

何もそれらしい選択はせず

天気予報を確認するつもりのテレビを

いつまでも消さずに20分が過ぎた。

 

 

どうしたのだろうと自分を眺める

自分が跳ね返さないくらいの薄い関心を向けて

自分の心がどうしてしまったのかと

気遣ってみる

 

 

この落ち着かない感じはよくあるけれど

もっと今は 止められない衝動が混じっている

 

 

あまり感情をあらわにしないように

心掛けているつもりでも

顔に出たり、言葉に出たりしてしまうくらい

感情的なわたしが今は 何を思っているのか?

 

この感情を分別したとき

悲しみなのがわかった

 

 

悲しみなんだ

 

 

それは 穏やかな今日を生きるから感じられる

過去や未来の悲しみ。

 

 

心の中にまだ溜まっている悲しみや

幸せだから失いたくないと思う時に生まれるもの

 

 

考えれば次々と思考に捕まって

それに伴う感情が止められなくなってしまうかも。

 

 

こんなとき 何度か助けになった言葉は確か・・・

「この先、きっと良くなるんだ。」

・・・だったな。

 

 

家族にこの悲しみの話をするのは憚られる。

話したら長くなり、今日一日に支障が出る気がした。

 

 

でも

「悲しみを癒す」ことが、一番な気がした。

 

 

そしてもう一言。

 

この先もっと良くなるんだよ。

 

 

 

 

きっと、

「悲しみを癒す」と心に言ったからだろう。

 

 

そこから家事を始め、とにかく何かをした。

 

 

冷蔵庫の食材を切り、フライパンで炒めた。

面白かったのは、火が悲しみを焼き切っている気がし、

味付けに調味料を振りかける素早い動作の自分には

コミカルな人間像があって笑えてしまった。

 

 

自分がナーバスな時の家族との関係は特に

気をつけなければいけないが

充分に言葉を選ぶことができて

温かな時間が過ぎた。

 

 

遠慮することも無理することもなく

家族がそれぞれの今日を始めるまでの時間を

明るめの時間として過ごせたのでよかった。

 

 

おかげでわたしの中の悲しみは

まるで一過性のような顔をして 静かになった。

 

 

それからも、何かの拍子に、

一人になったタイミングで悲しんだ。

 

 

そして今度はカタカタとこのページの文字にして

それをバラバラにしている。

 

 

自分の未熟さと愚かさと不器用さと不正直さが

今までに残してきた悲しみだ。

 

 

深く癒されたかどうかはわからないが

今日生きて行くだけの力を編み出すことができた。

 

 

悲しみが無駄にわたしを腐らせてしまうより

生きることへの気持ちを強くすること。

それも 自分を癒す力を呼び起こす。

 

 

ついでに いつもより たくましく

家族にお願い事をしてみたり

自分がやりたかったことに時間を使ったり

がんばるより楽にできることの方に

比重を置いてみる。

 

 

いいよ〜

ありがとう〜

どうぞ〜

 

 

いつの間にか

そんな言葉のあるやりとりをしていた。

 

 

悲しみに気づいて始まった一日は

ずいぶん幸せに近づいたようだ。