VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

自分に罰を与えない

最近、理想通りに早く起きることができて

気持ちにゆとりがあり、朝のうちに日常の家事も

ある程度手掛けることができ、快適さを味わっていました。

 

いつもより早く犬の散歩に出たら、

いつも気がつく以上の

何種類もの鳥の鳴き声に驚いたり、

 

いつもより鮮やかな濃淡で草花の色が目に入って

足を止め、写真を撮りたくなったり、

 

玄関に入ってきた清々しい空気で

そのまま、掃き掃除や靴磨きをしたくなったり

 

気合を入れなくとも 自然にやりたくなることが

一日をスムーズにさせそうなことなので

ますます、早く起きた数時間が印象よくなり、

ゆとりあるということの恩恵を味わって数日。

 

今朝は、若干 二度寝したために

ゆとりを味わうためには、少しテキパキとしないと、

叶いそうにない感じがして たったそれだけのことで

予定が狂った時に近い気持ちになっていました。

 

そうすると、せっかく早く起きたことも

色あせてしまい、今で何度も経験したことのある

焦りや、重い気持ち、やる気のなくなるような考えが

わたしの中を占めていき、昨日まで軽く進んでいたことも

迷いから リズムを失っていきました。

 

そんな状態に陥った自分を責めそうになった時

「自分に罰を与えない」という言葉が不意に出てきました。

 

自分を責めそうになって、

自分がもっと苦しくなるような行動を

するところだったその時に思いついたこの言葉を

心惹かれるまま胸の内で くりかえし呟きました。

 

「自分に罰を与えない」と言ってみると

今まで自分にしてきたことの中にいくつも

「罰を与える」に値することがあったと気づきました。

 

振り返って、どんなことが罰に値するかしないかは

意外と判定しやすいものでした。

 

「罰」は自分だけでなく、他者にも

間接的によくない影響を及ぼしていました。

 

自分の失敗に罰を与えれば、いつかは人にも

必要以上に厳しくなっていました。

 

罰を与えることで一時的に物事の修正が効いたように思えても

長い目で見たら、解決には至っていなかったことには、

ただ 目を瞑っていただけのことでした。

 

自分に優しくする、自分を大切にするということの

難しさを感じていたわたしは、自分の機嫌をとることや

ご褒美をあげるという表現を聞いて真似してみたものの

それを良いなと思うことができずにいました。

 

でも今日それが、霞が晴れるようにわかりかけました。

 

わたしは、自分に罰を与えることを無意識に良いこととしてきたので

時々思いついたように いくら自分にご褒美をあげてみたところで

それは自分を満たすことにはなっていなかったということです。

 

自分にご褒美をあげたのに、後悔することがあったり

すっきりとした気持ちになれなかったりしていました。

そして、結局 自分をつらい気持ちにさせるようなことが

繰り返されるだけで、何も好転させられなかったのです。

 

良かれとされていることでも、常識でも、道徳でも

いつのまにか四角四面に当てはめてしまい、そのせいで物事に

違和感が生じていても、気づくのは難しいものです。

 

自分に深く染み込んだ考えが及ぼしている現状を見て

思い込みを柔軟に取り外したり、変えたりするのは

なんだかんだ言って難しいと思っていました。

 

でもそれは、自分に罰を与えるのが当然の価値観の中で

身動きできずに自分にとって罰となるようなことばかりに

手が伸びていただけです。

 

自分に罰を与えない

自分に罰を与えない

自分に罰を与えない

 

そればかりを自分に伝え続けたら、心がだんだん

解けてきました。

 

良かれと思って人に言うことも、良かったと思えなかったのは

自分に罰を与える思考が人にも及び、人にも自分にも

罪悪感を残すような話の展開になっていたからでした。

 

自分に与えているものが罰でなくなったら

本当に言いたかったことや

人としてのの温かい気持ちがもっと

ストレートに通じるのではないかと感じます。

 

どんな人も自分を好きで大切にできていたら

自分にも人にも罰を与えることはしないような気がします。

 

もっと違う形で物事を好転させるのではないでしょうか。

 

 

「自分に罰を与えない」

 

 

良い方へ向かう気がするので

この意味をもっと感じたいと思います。