VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

やさしく

生きているもの同士 お互いがなるべく

優しくしあえたらいいなと思います。

 

それでも、自分のテリトリーを守るためのなんらかは

なくなることはないかもしれませんが、そういう

気持ち次第では、世の中 生きやすくなるからです。

 

争い事は身を固くして、不安や疑念や終わらない怒りで

様々なものを壊してしまいます。

 

それによって新しいものができるという面もありますが

優しさをなくしているとき、思うほどの結果ではなく

ずっしりとした苦渋も残るものではないでしょうか。

 

決して心清いわけでもなく、メンタルも強くない私は、

そんな事を考えることがあります。

 

それは、優しくすることの難しさを感じることがあるからです。

 

自分の身近な人に何気なくできる、相手の喜ぶこと。

たまたま目にしたことに、とっさにできる親切。

世話をしている対象に対して快適か目配りすること。

 

たとえば これらが自分の日常にあるとき

自分の周りの世界が明るく平和に保たれ、

優しさが巡るのを感じながら過ごすようになります。

 

ちょっとしたつまずきや、嫌だったことがあった時も

少し気持ちをゆるませることができます。

 

 

成長過程の中で 苦労があったとしても

優しくしあって生きてきた人は表情が花のように

柔らかく開くように感じました。

 

礼儀や社交として笑顔を心がけているとしても

その顔つきには柔らかい粒子が

まとわりついているような感じです。

 

それと このお顔にあまり寂しさは感じないのです。

寂しいことがあったとしても、胸の中にあるものは、

言ってしまえば愛なのか、しかし風のように爽やかな

活気も含んだものなのです。

 

私は、人に気遣いできる人間を正解として

道徳観を重視する環境で育ちました。

その環境で目にしたものは、優しさもありましたが

見返りを求めるところからの形だったり、

体裁を保つための形だったりもあって

反動として起こる理不尽な出来事に感情を乱され

精神的な飢えがありました。

 

優しくし合う世界があるように見えて

体感としては満たされていませんでした。

 

自分の欠乏感から

人がそういう思いをしないように気を配ることや

辛い状況の人に共感することが自分らしさになりました。

 

心からありがとうと言えるほど人に感謝したこともなく

感謝される人間になるために努力していたと思います。

 

人の裏側や虚構を目にしてきて、

人間不信な気持ちが根底にあるまま、

普通の人と同じになりたくてする努力は

自分に優しくできない閉じこもった人間性を強化し

優しくし合う世界が簡単に手に入らないという

現実を自分と結びつけてしまいました。

 

 

世界が優しければ

優しくし合う事を学ぶのは難しくないと思えます。

 

一人で苦しみに向かうよりも、優しさに晒された方が

きっと世界の優しさは増えるでしょう。

 

 

優しくし合うことが世界の規格であって欲しいけれど

とても大きな話になってしまうので、

優しくし合う世界が私にとって遠くなくて 

いつでも手の届きやすいものだと

もっと信じていられるように

 

縮こまった心の奥を

幸せな笑い声で満たせるまで優しく

 

今ある幸せと優しさを見つける目で

いろいろな自分を大切にしなくてはと

思うのでした。

 

 

自分には それができると信じることは

これから先の経験を変えていくのでしょう。

 

 

それを信じることができた自分は

もっと、自分の感情にも優しくなれていて、

ゆとりを感じさせる人ではないかなあと想像します。

 

 

そして もっと心から優しくなり、

あの柔らかな粒子を纏う人たちのように

人と関われたら嬉しいだろうと思います。

 

 

優しさは、感受性の問題でもあります。

考えながら優しくするのはとても疲れることです。

 

気を使うとか心遣いという言葉がありますが

人との関わりを前にして、何も思わず

すべての人に同じ態度を取れるという人は

ごくわずかではないでしょうか。

 

小さな子供の頃で人見知りもしない時期だけは

どんな人の腕にも抱かれ、笑ったり怒ったり

そのままの感情を全身で表現していたでしょう。

 

それですら、自分の状態によって

喜びもすれば拒絶もしていたはずです。

 

そのままを受け入れる周りがあって

経験できることですが、生きていくうちに、

受け入れてもらえないこともあると知るうちに

難しくなっていくのかもしれないです。

 

心に残ったこういうことが 

お互いに優しくし合うことの価値を

見失わせていくことが、どこにでも起こっていることです。

 

 

私にとっても 日常に難しいと感じる局面があり

自分なりの結論はスッキリしたものではありません。

いろいろな事を試し、変化を比較すれば効果はあるものの

脱したとは言えないです。

 

結局は、自分から優しくある事を心に決めて

それがぶれない為には、行動を一定の水準から下げず

状況と自分の感情を切り離して会話することも必要です。

 

相手に対するイメージがあまり良くないときに

先入観で見てしまうことで、関係を悪化させるような言動が

出てしまう事を、自分の側で避けられたら良いかと思います。

 

周りがどうであれ、相手がどうであれ

自分から発せられるものから やさしさが垣間見られたら

ひとまず大成功として良いのではないでしょうか。

 

印象は心の中に蓄積し 時が経っても残り

人間関係やコミニュケーションの橋になるのですから。