VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

やる気がないとき

歳のせいも 体調も 季節や世の中の様々な事象も

気がかりなことも 人間関係の不具合なども

いつの間にか心身に影響を及ぼす一因ですが

 

私たちは些細なことで 気力が低下してしまい

そんな自分を持て余すことがあるものです。

 

そのままやる気のない状態を受け入れて

自然の姿で時をやり過ごしても、しばらくすれば

その状態の居心地悪さに居たたまれなくなり

本音とは裏腹に動き出してしまうため

思ったほどの回復や前進が見られない経験を

したことはあるでしょうか。

 

意外と動き出したら気が紛れてしまったがために

その後もなんとなくパターン化してしまい

じっくり休むこともなく適当な解決策を取って

なんとなく気持ちは優れないままということは

ないでしょうか。

 

私たちには、自分を動かす原動力もあれば

自分の感度を鈍らせて危機をやり過ごす防備力もあります。

 

動きたくない時にも頑張って 無理をして乗り越えて

それが良かったことも、そうでもなかったことも

わたしにも経験があります。

 

そういう、動きたくないやる気ない日を

ほんとに良かったと思える日に変えたくて

ヒントを求めています。

 

これはまだ良い状態だと思います。

 

気分は全く良くないですが、

自分はこうしたいんだというのが

浮かび上がってきているからです。

 

過去にもこういう流れはありました。

少しでも良くなりたい

今日より明日が良い日であって欲しいと

思っていた時期です。

まだ若く、人間関係や健康状態が悪化して

心の底で這い上がろうともがいていました。

投げやりな気持ちには度々襲われていましたが、

どこかで、完全には諦めていませんでした。

 

振り返ると、それを満足のいく形にするのに

人と比べると努力が足りなかったかもしれません。

 

苦手なことは複数の人とのコミュニケーションで

どこへ行っても途中から楽しくはなくて関わりが薄くなり、

結果、広がりの少ない世界となって、悩みは尽きないのでした。

 

そんな時期にも、好きな読書によって考え方の幅を広げることが

入り口になって、その当時よりは明るい世界へと駒を進めて

いくことができた人間の一人です。

 

そう考えると、やる気がないことは

今とは違う、今はいない自分へ移行する準備のような

大事な時間と思うこともできます。

 

最近のやる気のない日、心の叫びは

「ああー!お日様の光の中で、ボーーーっとしていたい!」

というものでした。

 

その日 それを実行はできませんでしたが

心の声としてはっきり認識し

口に出していたことで少し違いました。

 

何かしながらでもお日様の光を浴びるのではなく

ただそれをするだけなことが肝である気がして

一日の中でも

あえて 休むとか区切るとか

やめるとか 終わらせることが

なんだか良いことのように思えてきました。

 

やる気がなくなっていく背景には

周りから見たら休んでいるようでも

本人的には休んでいないという実態がある気がします。

 

よくよく考えれば無理のない話ですが、

なんと言っても疲弊してしまっている時には

頭も普通以上に回らず、惰性的に動いているようなもので

やる気の出ない自分を非難したり、嫌いになったりして

一人、そんな状態から抜けられなくなっているので

気づくということも難しいと思います。

 

やはり、やる気がないということにも

とても意味があるのだと感じました。

 

電源を落として行って、最低限できることが

「これだけ」となることで

新たなやる気を向ける対象が見えてくる。

 

残りのエネルギーが向かう先を

楽しみにすると、気持ちが少し楽になる気がします。

少なくともやる気のなさに目くじら立てることなく

受け入れて、どうにもならない時間も受け入れて

自分を非難することに時間を浪費しなくてすみます。

 

そんな捉え方を採用してみようと思います。