VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

ぜんぶ自分のため

常に周りに気を配り 人との調和を図り

人の役に立っているか気にかかり

人の調子に左右され 人との関わりで

時間が過ぎていき 中身の作れない

そんな自分の外側主導の人生は

いつになっても終わりなき空虚と

人間力の弱さゆえの失態続きに

歯痒い思いをしながら時を過ごし

内面と生き方のギャップを大きくする

ばかりで、このちぐはぐな体感は

もう大きさを広げ過ぎていて

周りの関係にも決して喜ばれるような

ものでもなくなってきています。

 

・・・という地点に立ち

今までなぜか自分にとって禁句だった

「自分のため」というフレーズを

頻発させることを ここへきて

意識的にやってみています。

 

人前で大っぴらに言うのではなく

心の中で思うか、微かな声で呟くのですが

おもしろいことに 悪い方へは行きません。

 

一時的に 自己中心的な言動を

とってしまう事もありましたが

今までのイメージとあまりにもギャップが

あり過ぎているからだと思います。

 

人のためと思ってやり過ぎてきたことの

弊害で、起こるべくして起こることです。

 

そこは反省して次には変えたら良いわけで

反省とか、変えたら良いと思う事も

ただ人のためを選ぼうとしてきた時より

自分の気持ちと人の状態との区別が

はっきりとしてきています。

 

これがなかったために

良かれと思って・・・という 実は自己中な

おせっかいや干渉が多発してしまい

いつの間にか自分がトラブルメーカー化

してしまう事もあり、それがまた

さらなる無念を生む元でした。

 

自分のために何かを求めることに

罪悪感を持ったり、喜べなかったりして

自分にはその権利がないようにさえ

わたしは勝手に感じていました。

それでも、そのままでよいわけではなく

自分の意思を貫こうと思い立った

自分にとっての肝心なときには

いきなり適切な選択ができるわけもなく

慣れ親しんだループの範疇に収まるしか

なくなってしまうのでした。

 

自分のためと思いながら生きてきた人の群れに

入ってみようとしているこの試みですが

エゴで押し通すという意味ではなく

今やっている瞬間の体感について

「自分のため」と認識することを求めています。

 

 

今、自分がここにいて こうしていることは

自分のためなんだと認識すること。

 

 

自分の人生の瞬間を手応えを持って

生きようとすることとも言えます。

 

また、何かを人のせいにしないで

自分ができることをするという姿勢が

意識できて、自分に対して清々しく

人に対しても境界線を引くことができます。

 

そうして初めて、自分も他人と同じく

一人の人間であることが確かめられて

安心するとともに大切にしたくなります。

 

自分の自由を尊重すれば、人の自由も

考えも 選択も ゆとりをもって

眺めることができてくるのでしょう。

 

どんなに周りの勢いや雰囲気に

巻き込まれそうになったとしても

 

これが今 ぜんぶ自分のためなんだと

思ってみたとき、口に出してみたとき

嵐の中でぐちゃぐちゃにならずに

自分のすることを見つめ味わい

そのときできる最善を行く自分がいて

それがどんな姿であろうとも

不思議と結果は うまく行くようです。

 

 

自分の力強さを育むために

これを繰り返していきたいと思います。