VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

自ら

「立ち上がる力」を書き終えて

しばらく経ったある日

 

 

大きく前に踏み出すのは

「立ち向かう力」だなと思いました。

 

 

私はドキュメンタリーやインタビューを

見たときに共通して、深い感動を覚えることを

思い出しました。

 

 

どのストーリーにも

その人の道程には、前に進めず立ち止まり

時間だけが過ぎていくようなときや

苦しみの中でもがきながら

できることを手探りするような時が

長く短く存在していました。

 

 

その先に見出した

わずかな一歩だったり

決断だったりがあって

外から見えるものは一見なにもなくても

水面下ではその人だけのたくさんの経験が

刻まれているとも言える気がします。

 

 

そして、再び

動きを見せ始めるとき

以前よりもしなやかさを増して

「立ち上がる力」の使い手となり

「立ち向かう力」に集中力を重ね

圧倒的な努力の成果の先にある

突破口へと向かう人の姿には

もう 迷いを超えた力強さが

その人の魅力まで色鮮やかにしています。

 

その姿に魅せられる理由は

 

その人自らが

そのときどう捉え、考え、動き

自分以外の世界にどう

立ち向かっていったのか

そのこと自体が魅力的だからです。

 

 

そして自分の中にも

「立ち向かう力」があることを見る。

 

 

自分の人生でも「立ち向かう力」が

自分の今と未来をなにかしら変えていくのを

ほんのり予感することができる。

イメージしようと思えばできるかもしれない。

 

 

自らの生命の目的から動き出すとき

自分の人生が

どうにもならないものではなくなり

歯車は動き出していくのかもしれません。

 

 

そして問題があるとしたら

自ら選んだ覚えのない状況に対して

どうしたら良いのかという疑念です。

 

 

最終的には

自らが一つ一つ決断したのだと

納得したら良いのかもしれませんが

 

 

無理に考えを着地させるのではなく

始まりと現在地点を確認するのは

どうでしょうか?

 

 

たとえば

子どものころの習い事。

 

続いたものと続かなかったものの違い。

 

好きだった、

そうでもなかったというだけでなく

取り組みの姿勢につながる

思いや決意がなかったでしょうか。

 

 スタートが曖昧でも

自らの強い選択があったり

自分の選択を後押しし続けられる

動機や想いがあったのではないでしょうか。

 

親が習わせてくれた習い事は

やりたいと言って始めたオルガンやピアノ

教室が近かった 習字

親の知人に教わった着物の着付けで

やらないよりやってよかったです。

 

 

大人になって以前から一度

やってみたかった油彩画やカヌー

友達に勧められたスキューバダイビング

体験してみただけで一定の満足感でした。

 

 

もっと大人になって苦手な数字に関係する

簿記3級の試験に挑戦したときは

自分に大きな挑戦を求めた時期で

通信教育の教材を購入し

何度も弱音を吐きながら

図書館で勉強したり

お風呂でも教材を聞いたりして

試験に落ちてもトライしました。

 

2回落ちて3回目に合格し

実務できるほど役に立ってもいないです。

 

けれども

この経験が生まれたのは

私が親として

子どもに見せられる背中が見つけられず

自分も成長を迫られているような気がして

子どもに勉強せよと促すことだけの

説得力のなさに危機感を覚えたからでした。

 

 

やりたいというような気持ちでは

ありませんでしたが、この時は

誰に言われるでもなくやろうとしていて

苦手なことだけにやるための決断は

慎重に、でも合格することを思い描いて

行動に移していったと思います。

 

 

もちろん勉強がうまくいかない

不合格、などといった時は

勉強を始める気持ちが立ち上がらず

様々な工夫が必要で、

教材を変えてみたり

勉強の仕方を学んでみたり

しました。

 

その時を思うと

訳あって深い思いで決めたことを

簡単に投げ出せず、なんとか

形にしようと頑張ったことで

自分を作っていった時間だったと思います。

 

この体験は私には良かったと言えます。 

 

もしかしたら

自発的に自分を作っていく過程を持つことで

自分の中の力は増すのではないでしょうか。

 

 

必要になったときに

「立ち上がる力」と「立ち向かう力」が

ポカポカと体温を上げ必要な行動に向かわせて

くれるシステムは自分でもいつの間にか

作っていると思います。

 

 

一人では生きていけない世界で

自分の意思だけではすまない世界で

 

 

「自ら」という、発動する感覚は

人生を力強く明るいものにするでしょう。

 

 

「自ら」を見失ってしまうときは

心を温め、感覚を取り戻す時間をもち

小さな満足を得ることだと思います。

 

 

やがてそれが蓄積されて温まり

自分らしく「自ら」が発動を迎え

少し揺るぎなく

少し前に進んでいると

思えるようになるのではないでしょうか。

 

 

そうイメージしてみても

少し強くなれそうな気がします。