VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

たどり着く先

先日、お花を贈る機会がありました。

 

私がお願いしたい花屋さんは、

以前も依頼したことがあるお店でした。

 

そこに向かうのが出遅れてしまい、

お店に着いた時には 配達中の札が出ていて

すでに 車に乗り込もうとされていました。

 

それでも、私の用件に耳を傾けてくれたのですが

私が先方に届けたい日の前日は出張のお仕事で

仕入れが間に合わないため、日にちをずらすことになりそうでした。

 

私は、日にちをずらすこともちょっと考えました。

でも、送り先の都合を考えベストだと思った日にちだったので

今回は、別のお店に行くことにしました。

 

しかし、その時点で近辺に花屋さんが思いつかず、

他に目星をつけていたところは、そこから離れた場所でした。

 

困って車で周っていると、以前行ったことがあったところを

思い出し、そこにお願いしてみることにしました。

 

しかし、そこでは私がイメージしたお花は贈れず、

カタログからデザインを選び、送り先に近いお花屋さんが

作って届けてくれるということでした。

 

少し物足りない気持ちになりながら、そのまま話を進めて

住所などを書いていると、届ける時間を選べないとわかりました。

 

先方が受け取れる時間は決まっていて、それ以外では

手間を取らせてしまうので、書き終えた住所や名前の用紙を

手にしたまま、他を探すことになりました。

 

次のお店は、私が目星をつけていたお店の姉妹店でした。

近くにあることがわかって、急いでそこへ向かいました。

しかし、よく見ると定休日。

明るい店内を覗き込んでも 人の気配はなく

またも、足早にそこから離れなくてはなりませんでした。

 

私は、こういう時に諦めそうになり、

うまくいかないことを何度も考え、

自分の要領の悪さや状況の悪さを思って

投げやりになりそうになります。

できなかったという結果に悶え苦しむ気持ちや

妥協点で収める選択に甘んじる無念を

持ち帰り、機嫌悪くなっていることもあります。

 

 

今までも こういうことがあったのに

改善できていない事柄に直面する時間ですが

もう一つ気づくのは、ここから先に繋がる展開があると

視点が切り替わったら、結果が違ってくるということです。

 

お花を贈る一連のことを適当に済ませようと思っていなかった。

どんなお花を渡せるのかはまだ見えてこない展開だけど

もっと 心を澄ませて、たどり着きたいと思いました。

 

そして、あまり行く気のなかったお花屋さんを思い出しました。

 

そこは、カントリー雑貨と花とガーデニングが融合したお店で

雑貨が見たくて立ち寄ったり、家に飾る花を買ったりしたことが

ありましたが、夢だけが膨らんで見ている方が多いところでした。

 

 

そこには、その日も

大きな窓から光差し込む店内に所狭しと飾られた雑貨たちと

豊かなグリーンと花の色合いが温かくいきいきと密集し、

その多彩な美しさに目を止めてしまい、目的の買い物から

一瞬で気が逸れてしまいそうでした。

 

 

4件目、お花の注文はスムーズにいきました。

どんなお花を送りたいか、種類はどうするかを聞かれる時

いつも困ってしまうのですが、それもこのお店では

会話の中で簡単に決まっていき、気持ちが楽でした。

 

帰り際、雑貨を手に取って見ていきたい欲望に駆られました。

けれども、花屋巡りをしてずいぶん時間が押していたことと

納得いく着地があったことで満足したいと思い、別の機会に

ゆっくり見た方がいいと思い直しました。

 

 

振り返ると、そもそもこのようにお花を送りたかったんだと

あらためて確認するような成り行きでした。

 

 

ちゃんと、たどり着けて良かったと同時に 

それが望んでいた地点だったという結末が

とても面白いと感じました。

 

 

よく望みが叶うとか叶えるとか言いますが、

なんらかの形で、どんなことも たどり着く先があり

 

たどり着く先は 

強くイメージしたことや

深層心理で描いていたことだったり、

初めからわかっていたようだったりで

 

全く突然、脈略もなくということはなく

種子は播かれていて、芽が出たり

伏線があって結末につながったり

意識の一粒が強く影響したりと

 

見えないけれど つながっているというのも

イメージできることだなあと感じました。

 

 

目標達成や車のナビで目的地に着くことは

どこに着きたいかが明確で、道中 何があっても

別ルートを取りながらでもゴールに向かうことで

最短に合理的に力強く進んでいくイメージですが

私は今まで、消極的な態度で目標には逃げ腰でした。

 

それでも、たどり着く先があり、たどり着いた場所を見れば

自分がどこへ行きたかったのか、どうしたかったのか

自分の望みを見ることになるのかもしれません。

 

自分の思ったこと感じたことに対して、それを

どうでもいいとしたのか、大切にしようとしたのかで

ある程度、測れるものかもしれない気がしました。

 

様々な感情になれど、自分や人の思いを大切にすることは

無駄でも、悪いことでもなく、

それがどこかに繋がっていくものだとしたら

どこかにたどり着くことが決まっているし、

こうだったらいいし、嬉しい、満足という明るい方向に

予期していてもいいんじゃないかと思うようになっています。

 

 

きっとどこかにつながっていて

好むと好まざるにかかわらず

すべて形になるのですから。