VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

愛と自由

人生の進路を決める時、いつも周りの意見を気にして

非難されない批判されない選択肢をとってきました。

 

私は この姿勢をあまり良いと思っていません。

 

親が私の人生の先々を考え、幸せの雛型を見つけ

そこへ繋がるルートはきっとこうだと予想して誘導してくれた

愛情から生ずるアドバイスを私は受け入れてきました。

 

反抗も自己主張もしたつもりですが、振り返ってみると

結局は親の意見に沿う形になっていることが多かったです。

 

素直なところも頑固なところもある子どもでしたが、

長子だったこともあり、自分の主張を通して開拓していくより

親が望む姿を目指して慎ましく成長することが望まれていると

感じていたので、生き生きとした将来の自分を想像するのが

難しく、目標は曖昧になっていきました。

 

無意識に、自分が好きな分野に近づくことをしようとしても

それが無駄なことに感じるような嫌な気分がほんのりと漂い、

好きなことに集中することは だんだんできなくなりました。

 

 

高校から先の進路を決める時、絵を描く仕事をイメージしました。

美大に進むほどの情熱もないので、グラフィックデザイナーや

イラストレーターなどになるための専門学校を目指したいと思いました。

 

パンフレットを取り寄せ、夢を思い描き、足りない画力についての

不安を持ちながらも、ワクワクした気持ちになっていました。

 

しかし、父にその希望を話してみると、将来が不安定だという

理由でやんわりと反対されました。

決して頭ごなしではありませんでしたが、

そこからさらに頑張って説得する気力はありませんでした。

その、とてもがっかりして脱力した記憶も

あまりはっきりと思い出せないのは、心のどこかで

この悪い結果をかすかに予想していた感覚があったのと

その時の私は、周りの承認を得る生き方を精一杯やってきて

もう自分のためにがんばる気力が薄かったからです。

 

自分の希望が通って応援されるという希望を持っても

自分にとっての良い道は自分では決められないという

経験からくる諦めや、自信のなさの方が大きかったので

そのような時にも自分ががっかりして壊れないように

次の答えを考えてあったり、ダメ元という言葉を念頭に

置いていたりしたのでした。

 

子どもが好きだった私は、次の希望を子どもに関する仕事と

いうふうに考えていました。正直なところ どんな子どもも

大丈夫かというと、苦手な子どもにも出会っていたので

多くの人と関わる必要のある仕事は不安でした。

 

身近な同級生で、小学校教師を目指している子がいました。

それと同じ部活の仲の良かった子が保育士を目指していました。

私たちは、時々 将来、先生になった自分たちの話をしました。

私が思い描いたのは、少人数しか子どものいないような

離島の小学校教師でした。

子どもたち一人一人を見てあげられる、島の人たちとも

顔見知りになって長くそこに住むことになるような想像です。

 

しかし、その為に進学したものの、教育実習につまずき、

採用試験も受からず、それ以上に頑張れず、教師にはなりませんでした。

 

 

父のことを嫌いになったことはなかったのですが、だんだん

父の想定するわたし像から出られなくなり、好きになる異性も

父の価値観がちらついて、それを考えねばならず、考えるほど

生きるのも苦しくなっていたと思います。

 

 

自分の価値観を私に反映させることは父にとって、

優先順位の高いことだったのかもしれません。

ただ可愛がってくれただけではなく、周りからの評価とか

私自身の特徴のうち父が好ましいと思うところから考えて

優秀は無理でも、優等生的な人間になるように

最善を尽くして 導いてくれたのでしょう。

 

父亡き今、私にしてくれた愛の関わり方から

私は 離れて行こうとしています。

 

私の経験では 愛は強く、影響を与えるものです。

父の愛の存在を強く感じるほど、私は自由でいることを

忘れてしまいました。

 

自分に自信が持てなくなり、常に借りがある気持ちで

何か人の役に立たなければいけない、

良いことをしなければいけないと

周りのことばかり考えても、いざという時は

身がすくんで自発的に動けない性格で

ますます自信が持てなくなってしまいました。

 

そして 自分の自由も人の自由も

いつの間にか尊重できなくなっていました。

 

 

そんなことになるのなら

私は、自由を尊重できる人でいたいと

今は、思っています。

 

それは簡単ではないのも感じます。

 

子どもが巣立つことを寂しいと思いながら

その背中を応援し準備を進める親たちの姿を

何度も身近に見ることがあります。

 

私の親も 最終的には私が離れていくことを許して

くれたのを思うと、そのときの背後にあった

今までで一番大きな愛を感じます。

 

 

人が人にできる最大の愛は

その自由を尊重することではないかと思います。

自分の自由を許し、人の自由を許していく時

たくさん考えることも出てくるでしょう。

 

 

それができれば生きやすい世の中になり

自由が尊重し合える関係が多ければ、

なるべく多くの人にとっての自由が守られ

笑い合って、生きていけるような気がします。

 

 

少なくとも 自由を尊重することに比重を置いたら

私は少し肩の荷が降りたように感じました。

 

 

相手の自由を尊重すると同時に

相手を守ろうと背負っていたものを相手の責任に戻し

歪な関係のバランスを取り戻す時間帯に入った私は

少し孤独に少し自由になりつつあります。

自由を尊重されることから 感謝を知り、自分を知り

挑戦したり自分のペースを知ったりできます。

 

私も、自分に自由を許し、挑戦することを見つけたいです。

今 そんなささいな自分の変化を楽しんでいます。