VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

二択

心身の不調が起こったとき、どのように対処していますか?

 

わたしは子どもの頃、比較的元気に生まれたはずが

幼少時はリンパ腺をよく腫らし、その度に病院へ

つれていってもらって注射や薬で治していました。

 

風邪症状では内科、虫歯治療の歯科のほかでは

湿疹ができやすく、皮膚科へ

霜焼けが悪化したときは、外科へ

何年か耳鼻科へ通っていた時期もありました。

 

小学生の時、夏風邪から肺炎を起こしかけた時は

病院が満床だったので、毎日、太い注射を打つために

1週間ほど病院に通いました。

 

 

そんなわたしは、

運動は特にしていなかったので、ソフトボールの練習では

指にボールが当たり、ヒビが入ったことがありました。

ボールを受けようとしてグローブに添えた右手の小指でした。

 

この時も、普通に病院に行ったかもしれませんが

治療のために通うことになったのは、接骨院です。

 

わたしにはここは不思議なところに思えました。

 

建物全体が日当たりが良く、同じ部屋の中に

数人の施術師と患者がいて、穏やかな会話がずっと

あちらこちらから聞こえていました。

 

わたしは右手を診てもらった後

温かいお湯の中にブクブク泡が出ている中に手を入れ

しばらくじーっと座っていました。

他には、温かい電光を当てる機械があり、

ただ、周りから聞こえてくる話し声に耳を傾けながら

周りの様子を観察しながら、座っていました。

 

その治療が終わると、先生のところへ行き、

まるで石灰のように白い色の粉を手につけられて

指にかけてのマッサージをしてもらいました。

その間、世間話のような気楽さで、聞かれるままに

日常の様子を話し、特に印象的なこともなく

通い続けて だんだん動かせるようになり

痛みもなくなって、通院は終わりました。

 

それまで通った病院とは違う雰囲気で

違ったやり方で、ヒビの入った骨を治したことは

不思議な体験と新しい考察の始まりでしたし、

温泉場のような雰囲気は気持ち的には楽でした。

 

その時は いつどうして治ったかわからないような

実感のない感覚でしたが、どこかで聞いた

治るのは本人の体が持つ自己治癒力ということも

実感として身近になった体験だったと思います。

 

時間をかけて身体を治していくプロセス。

それを実感する時間。

 

このゆっくりとした時間は体のペースを肯定し、

体の力を自然に強く出させていくのに必要な期間でした。

 

そのころは無意識だったのですが、

体を治すことに対し新しい世界が広がり

病院で治してもらうしかないという固定観念から、

それだけではなく方法は他にもあると認識が変わっていきました。

 

それとともに

健康だけでなく身の回りには、心身に影響する

様々なものがあり、それに囲まれて生きているわけですが

体を少しでも元気にしておくためには、自分でも

知っておいた方が良いことがいろいろあるとわかりました。

 

心から信頼できるお医者さんが見つかれば安心ですが、

そういった方が身近に見つかったとしても

自分の健康を 完全に人任せにできるかといえば

そう断言できるものでもありません。

 

また、病気の原因、心身の不調のそもそもの原因は

はっきりとわからないとされることが意外とあります。

 

しかし、体の不調を経験して、

知らなかった対処法に出会っていくうちに

体のことを少しは学ぶことになり

心身に影響を与える数々の要因についても

知識を得ることができました。

 

その知識は、身近になかったものですが

古い時代には普通に知られていたものや

細胞レベルで考えると理にかなっているもの、

心身のつながりを研究し突き止められたもの

自己治癒力を活性化させ、その人を強くしていくもの

など、自分の体で生きるということを

強く意識する方向に働くものでした。

 

 

そうなると、病気の予防や治療、健康維持に対して

選択肢を増やすことができました。

それは、大きな安心につながりました。

 

 

もちろん、周りに同じ考え方の人が見つからない時は

見えない暗闇を進んでいる気持ちが続き、

不安はなかなかなくなりません。

 

けれども、みんなと同じ方法が行き詰まったら、

結局、別の道を探すことになるものです。

 

完全で完璧なことは存在しない世の中で、

少しでも明るい方へ、大丈夫な方へ、生命が生き生きする方へ

選択肢を増やしていきたいものです。

 

 

現代医学を用いる方法と

自己治癒を主役にした方法。

 

どちらでも必要に応じて

自由に選択するのが当たり前の国もあるそうです。

 

 

わたしの父は、たくさん働いた人で

わたしがこの、健康に関する新しい見方を伝えると

「(仕事してお金を稼いで家族を養う役をこんなにやってるのに)

そんなこと(自分の健康管理や食生活に気をつけることまで

(自分が)やらなきゃいけないのか?」と不服そうに言っていました。

 

父が、歳の離れた兄弟たちの末っ子として晩年は頼りにされていたものの、

その中では一番早く病気で逝ってしまったことを省みると、

自分の命を人任せにしがちであったことが残念だったと思うのです。

 

 

広く知識が行き渡るように周知されたことが

多くの人の行動に移されることになります。

自己治癒力を主役にした方法は従来の方法と並んで

もっとはっきりと周知されて誰でも実行できるような

認識に変わった方が、色々と楽になることが増えると思います。

 

 

心身の健康にとって、複数の選択肢を持つことは

余裕として必要であり、最終的に自分や家族を守る砦のように

重要なものではないかと思っています。

 

 

よく見れば、

私たちは一択に追い詰められなくとも

既知と未知との二択の世界にいつでも立っていて

道はあるとはこのことではないでしょうか。