VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

人と人⑵

一方的なコミュニケーションでも

自分の気持ちや意図が認識できれば

行動によって何かしらの展開があり

出会いや成長に繋がるのではないでしょうか。

 

出会いとは、それが良い方に進んだ時

そう感じるでしょうし

成長とは、後になって成長した自分と

出会うことになるのでしょう。

 

子どもの頃は 置かれた環境で

漠然とコミュニケーションが始まり

やがて 自分と周りとの関わりを

意識するようなきっかけがあって

考えたり、悩んだり、変えていったり

試行錯誤するようになるけれど

 

どこかの段階で 自分なりの「型」を

見つけるのかもしれません。

 

生まれ育った環境の中で

自然に心地よいコミュニケーションを

身につけていられたら、生きていくのに

とても助けになると思います。

 

もしそれが、身についていなかったら・・・

 

そういうケースを生きている一人として

わたしがたどり着けそうになった話を

書いてみたいと思います。

 

 

大人になったわたしは、親になって

子どもとのコミュニケーションでも

たびたび失敗を感じます。

 

自分がされてきたように、周りと合わせて

嫌がっていることをやらせようとしたり

他の子どもと比べて、マイナス点を指摘したり

子どもの気持ちを聞くよりも喋ったり

自分語りが長くなってしまったり

機嫌が良くないのに無理して当たってしまったり

自覚あるなしかかわらず、信頼関係を崩す

コミュニケーションをたくさんした

時期がありました。

 

早めの反抗期がやってきて

わたしは親としての自分を大いに

見直さなければならなくなりました。

 

その時 子供に言わせてしまったのは

今でも悲しい気持ちになる言葉ですが

それ以上に、子どもを悲しい気持ちに

させたことを忘れてはならないということを

何度も自分に言わなければなりませんでした。

 

 

その時わたしは、子ども自身を見るよりも

親として生きることが苦しくなっていました。

 

 

一つは、親がわたしにしたようにすることが

子どもに対してうまく活用できなかったこと。

 

一つは、わたしが親との関係で辛かった時期と

子どもの年齢が重なってきて複雑な感情になったこと。

 

一つは、わたしが子どもの成長に追いつかず

子どもの正直な反応に反応してしまったこと。

 

これらの理由で 

子どもとの信頼関係を壊してしまい

子どもは、かつてのわたしのように 

あまり自分から話さない子になりました。

 

わたしは暗い気持ちを抱えていました。

 

かつてのわたしがして欲しかったように

子どもに接したらいいのかもしれません。

でもそれがわかりません。

 

かつてのわたしの悲しみをなんとかする時間より

今 受け止めなければいけないのは 子どもです。

 

自分が成長しなければ、子どもの成長のために

などど偉そうなことが言えなくなってきます。

 

それでわたしは、子育てに関する情報を見始め

毎日 心の波に飲まれながら悩んでいました。

夫婦ともに家族の悩みがあったので お互い

自分の子どもの頃の話を何度もしていましたが

自分の中で感情の葛藤が激しくなってくると

泣きながら心のうちを吐露していました。

 

今にして思えば、一人で頑張っていた感が

占めていた部分も大きいとわかります。

 

自分も成長しなければいけないし

子どもに見せる背中がないように感じて

何か挑戦しようと思いました。

 

ふと目についた広告が簿記講座の案内で

それに挑戦したのも このころです。

苦手な数字に取り組むのに 時間を作り

受かるまで受験することにしました。

 

時間はかかりましたが、3級に受かるまでの間

子どもが問題を読み上げてくれたりすることも

丸付けをしてくれることもありました。

 

子育ての通信講座も始めました。

毎月のワークをやるだけで

自分に向き合わざるを得なくなり

打ちのめされる気持ちになることもありました。

 

心身の疲れをどうにかするために

ヨガの教室に通ってみました。

体が疲れにくくなり、元気が出てきて

体を整えることで気分も安定し

自分にも家族にも良い影響を感じました。

 

 

新しい体験を〜3年続けるうち

私の気持ちも変わって行きました。

 

子どもと言葉を交わせる機会には

なるべく相手の言葉を引き出せるように

心掛けましたが、そういうのは意外と

うまく行きませんでした。

そういうときは まだまだ欲があり

子どもにとって安心して話せる人間に

なっていなかったようです。

 

難しいものでした。

わたしの気持ちよりも子どもの

今の気持ちに気づくような

子どもが気持ちを出しやすいような

空気を持っている必要があります。

 

今もこの難しさは感じます。

 

ある日

子どもは自ら「反抗期、終わった。」と

言って、同時に 「やっと甘えられる。」

というようなことを言っていました。

どうやら 反抗期だったために

今まで、親に頼みたいことでも頼まないように

我慢していたらしいです。

 

晴れてそのときから、いろいろなことを

気軽に頼んでくるようになりました。

わたしは、これは甘やかしだ、

甘やかしている・・・と本人に

言いながら、聞いてやったり、

ムッとしてやったりしています。

 

甘やかしについては日々 自問自答ですが

わたしといて辛かったであろう時の

子どもの思いを想像すると、

伸び伸びした気持ちで

安心して親と関われることだけは

埋め合わせておきたいと思っています。

 

 

子どもが大きくなるにつれ、

人としてのあり方が子どもから見られ、

元々少ない自信は、さらに喪失しました。

 

 

それは、人と人との関わり方を学び直し、

自分を人らしくしていく大切な時間でした。