VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

見守る

人に対して、子どもに対して

「がんばって。」と言うことに

とても抵抗があります。

 

 

頑張ることに疲れたことがあり、

頑張っていた人が亡くなってしまったことがあり

頑張ってという言葉の弊害みたいなことの方が

わたしの中では大きくなってしまったからです。

 

 

ただ、子どもの持久走の応援では

「がんばれ〜!がんばれ〜!」と大きな声を出します。

中途半端に声をかけるより 思い切り応援したいと思い、

そこは名前のわかる子すべてに声をかけていたこともあります。

 

 

親の声援で反応する子もいれば、

よその親のそれに照れ臭そうに目をやる子もいれば

気を引き締めてスピードを上げる子、

だるそうに苦渋の顔で淡々と走っている子。

 

 

応援の声が背中を押すだけとは限らないなあと

そっとしておきたいと感じながらも

大変だけど走り切ってやり切った気持ちになれたら

いいなあと、思いもあって

何人もの子に声をかけるうち、結局は

全員に声をかけているということもありました。

 

親子間の応援、頑張っている人への応援は

どこか一方通行的な感じがするとも感じます。

 

 

応援の形は、声をかける他に

して欲しいことやサポートになることを

手助けすることも入っているかと思います。

 

 

わたしは、自分では応援しているつもりになって

おせっかいになっていることもよくあります。

 

頼まれていない親切や、時間の間に合っていない時の手助けが

気がつきすぎるわたしに取っての応援でした。

それしかできないと、なぜだか思い込んでいたからです。

 

 

相手にとっては嫌だったかもしれないこれらの行為は

余裕のないわたしが、人の余裕のなさをどうカバーするかに

対応策を編み出したようなもので、さりげないようで

違和感のある存在感があったと思います。

 

 

その人が自分でどうにかやっていこうとするのを

邪魔することもあったのではないでしょうか。

 

それをわたしは、すっきりしない後味として感じてきました。

 

 

子育ても子どもの年齢が進むごとに

脳裏にある、世話を必要とする姿ではなく

一人の人間が、普通の人間関係の一部として存在し、

その個性と、意志を表現してきます。

 

 

親を凌駕して独り立ちしていく過程を、

成長し、大きく変わりゆく毎日を、

応援していく形はそのままというわけにはいきません。

 

 

片手間に学んでみても

どんな形が今の状況にふさわしいのか

はっきりと手応えがないまま年月が過ぎます。

 

 

はるか先に思っていた大人の姿は

子どもの内面にはすでに成形していて

そこに気づかないままに対峙している時は

相手の応援になってないものをぶつけ続けることにも

なって、難しいものだと思います。

 

 

甘やかしや 過干渉に繋がる心理状態は

自分の成長過程を投影した欲や

自分の裁量不足を埋め合わせるための欲が

無意識に原動力になっている面もあるのに

その 擦り切れそうなその場その場の対応が

日々に成長すべく変わっていくことに

対応しきれない姿だなあと思います。

 

 

相手を尊重するために 俯瞰してみて

こうしたらどうかな?と気付くことがありました。

 

 

その提案は、今日のわたしには厳しいものだったり

今日の相手には 受け入れることが難しいものだったり

それでも、今を繰り返すよりいいんじゃないかと

思えるようなものなのですが、少々思い切りのいる事もあります。

相手の気にいる話ではないので この場合、

提案をしても ますます押し問答になるものです。

 

 

胸の中をモヤモヤさせながら、離れたあと

次にできる良いことはもう、思いつきません。

 

 

何もできない、しない方がマシ、となった時、

相手に近付かずにいる時間が無為に過ぎていきます。

 

 

けれども、相手にとっては

影響を与えられない時間であり、自分で考え体験し

自分で舵をとり、学んでいく時間に変わったということです。

 

 

そして、その何もしないで離れているわたしは

見守るということが、少しだけ わかった気がしました。

 

 

今、ここに留まっている自分が何もできないけれど

やるせない気持ちと相手を大切に考えようとする気持ち。

これが見守る姿なのでは・・・と思いました。

 

 

できることはやっていて、助けることもやっていて

相手のことを見る余裕さえあれば、できていたことでした。

 

 

 

言葉では知っていてもイメージできなかったので

わかっているけどできないと思っていました。

 

 

普段から余裕のないわたしの「見守る」は、

今までのやり方の尾をひきながらでも

少しずつ進歩させたいと思います。

 

 

見守れる人間に変貌した未来の自分が

風通しの良い関係に幸せを感じている姿を思いながら。