VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

生きる力を生み出す言葉

”希望を持つことでしか、未来へ歩むことができない”

 

いつだったか子供の頃、そんな実感を伴いながら

まだ道半ばでもない人生を嘆いていた日がありました。

 

 

「子供の頃に、うんと楽しく生きた人は

大人になって、何か辛いことがあった時、

楽しかった幸せだった時の思い出がきっと

辛い時を乗り越えていけるのだろう・・・。

だけど

それがない人は、幸せな記憶に力をもらえないから

どうやって、生きて行ったらいいんだろう・・・?」

 

 

その頃は、すごく理不尽に思って悲しくなり、

被害者意識でいっぱいだったと思います。

 

 

そして、空想に長い時間を費やしていた私は、

未来に希望を持つことなら

どんな人にもできるかもしれないと思いました。

 

世の中には、幸せな人も幸運な人もいるのだし、

自分がその中に入ることがあってもおかしくないのだと

思い至り、なんだか少しほっとして

がんじがらめになりそうな心がほぐれ、

「希望」という言葉に希望を持った覚えがあります。

 

 

やがて、そんなことは頭の片隅にはあるものの、

うまくいかない経験と記憶が積もって、

希望を持つという一縷の望みも、

人の機嫌を気にするあまり

自分のためではなくなってしまいました。

 

毎日

臆病で気を使いすぎ、ちょっと卑屈に笑う顔で

どうにか学校生活を送っていました。

 

 

中学で勢いのなくなった私は、

進学にあたり、どこにも行きたいところはなく、

将来の職業も考えられませんでした。

ただ密かに、

誰も私を知らないところでやり直したい

気持ちは持っていたため、

兼ねてから親が行かせたいと望んでいた

寮のある高校を受験しました。

 

 

ところが、なんとか合格したものの、

得意ではない集団生活でホームシックになり、

半年ぐらいは毎日帰りたいと思っていました。

 

 

友達とゲラゲラ笑っていた思い出もありますが、

人と比べた自分はいつも自信がなく、

自己否定ばかりしていました。

 

 

目立つグループの子たちが華やかに見え、

みんなはこの生活に順応するだけでなく、

友達を作り、学生生活を充実させるべく

厳しい寮生活や上下関係の中でも、

元気を出して前向きに過ごしているように

感じました。

 

 

部活でレギュラーになれる子、

ムードメーカーになれる子、先輩に可愛がられる子

賢くておもしろい子、大人っぽくてコミュ力のある子

努力を実らせ成績を上げていく子・・・。

 

 

そういう人のことを羨むだけで、

挑戦や努力を楽しむことができず、

おまけに人見知りで対人恐怖症に近くて

人との関わりにいちいち悩んでいるような

弱く小さな心で生きていました。

 

 

そんな私と仲良くしてくれた友達や、

さりげなく優しい先輩、おもしろい先生も

思い出せば、私だって一人ではなかったんだと

今は思えます。

 

 

けれど、この頃の私に光をもたらしたのは

特に仲が良かったわけではない同級生でした。

 

 

どうしてそういう流れになったかは

今となってはもうわからないことですが、

私に本を一冊貸してくれたことがありました。

 

彼女はお父さんからもらった、渡された

というようなことを言っていて、

読後の私はそのことにも

ものすごく感心してしまったものです。

 

 

それはジョセフ・マーフィー

「マーフィー100の成功法則」という本でした。

 

 

1から100までの、節がたぶん1節2ページくらいで、

実例を含んだコラムのようなタッチで描かれていて、

「潜在意識」について書いてあり、

 

「人間は自分が思っているような人間になる」

「願いはすでに叶ったように振る舞うことで叶う」

「自分の考え方次第で現実が作られる」

「潜在意識は何でも無条件に受け入れて実現する」

 

と、いうようなことを知りました。

 

 

書いてある実例を読み、法則を理解するように努めると

そんな奇跡のような話をすぐには信じられなくても、

心の底は解放的でワクワクした気持ちになり、

ずっと私が頑なに持ち続けている未来の不安や

自己不信もいつかは氷解して展開し、

幸せに続く糸口に出会うこともあるかもしれないという

発想がゆるくイメージできて、気持ちが明るくなるので

毎日それを読むのが楽しみになりました。

 

読めば、ほんのりとした幸せな感じを

少しずつ味わって、自分の深いところが求める

自分は大丈夫なんだという感覚に近づく気がしました。

 

 

それでもまだ、

人のことは羨ましく、必死に自分の欠点を

どうにかすべく悩んでいましたので、

まだまだ簡単ではなかったのですが、

 

 

何かそういう考え方に惹かれ、取り入れたいと思い、

何度も読んで、たぶん書き写したりして、

のちに、自分でも同じ本を買いました。

 

自分を変えることは簡単でなかったので、

3年生の冬、卒業文集のために

一人一ページの原稿が割り振られた時も

伝えたいこと、書きたいことがなく

正直に書くとしたら辛い気持ちばかりでした。

しかたないので

全体をイラストで埋め、ありがとうの言葉を

点々と散らし、一見明るめだけど中身のないものが

出来上がりました。

 

文集をもらった時、自分のぺージはさておき

みんなの書いていることは どれもそれぞれで

心打つものもあれば、私と同様、

紙面から、気持ちの読み取れないような

簡単に済ませたものもありました。

 

 

あの、本を貸してくれた彼女のページには

いつもつるんでいた友達の名前が並んでいました。

 

そして、学校生活をとても楽しんだこと、

共に成長したみんなへの感謝。

これは明確な感謝の言葉が溢れていました。

 

この3年間の出会いへの感謝。

どれだけ大切に時間を過ごしてきたか。

そしてこれからもそうしていく。

さらにhappyになるんだ!

絶対に!!

 

そんな感謝と決意の響きのようなページから

自分を全力で生きたことを愛している、

その気持ちが伝わってきました。

 

 

 

私が、これを読んだ時、心の中に

感じたことのない強く眩しい風が吹きこみ、

衝撃をもって感動した後、

ひどく落ち込んだことを思い出します。

 

 

こんなに違うのかと。

自分なりの真面目さで

ただ やってきた私と。

 

 

 

友達との時間を徹底的に楽しみ、

限られた環境の中で挑戦し、考え、学び

次のステージに胸を膨らませている・・・

 

 

涙と生きる力があふれた彼女の3年間は

彼女が望みを叶えたとも言えるでしょう。

 

 

私はその時はまだ気付いていませんでした。

 あの本の考え方が何をもたらすのか・・・

 

ただ、

仮に彼女があれをまともに読んでいなかったとしても

親がそれを渡したのなら、

望むように生きて良いし、幸せに生きてほしい・・・

人生は思うように開いていけるんだよ!

・・・と、そんな応援に感じます。

彼女は、自分が得たいと望むものを全て

手にできたわけではないでしょう。

 

 

それなのに

彼女にとっての幸せと充足の地へ

ちゃんと到着することができた。

 

 

目立つグループの中にいたけれど、

自然体で、話しにくい子ではなかった。

感情が安定していた印象だった。

笑顔がきれいだった。

そこまでの特徴しか思い出せないけれど、

 

彼女の中にはもしかしたら

培われていたのではないかと思うのです。

幸せに生きるのに大切なことが。

 

 

考え方次第で物事の感じ方、収め方が変わること、

それによって人生の、自分の扱い方が変わること。

 そして、自分の未来は より良くして行けること。

 

 

 

圧倒的な違いの源は彼女にあって私にはなかった、

こういう知識と考え方だったとわかりました。

 

 

 

それから私は、長くこの考え方に魅了され

その後、体の不調に陥ったとき

生きるのが苦しくなって孤独の端っこに行ったとき、

 助けられ、支えられてきたことを思い出します。

 

 

不思議ですが、

本を貸してくれた当時は 彼女とは同じ寮でしたが、

その他の接点がほぼ皆無です。

当時の顔とあの柔らかい声しか思い出せません。

 少し会って話を聞いてみたい気がします。