VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

世界の見え方

自分が正しいと思っていることが

正しいように周りからも受け入れられているとき

人は精神安定を得て 安心して生きて行けます。

 

考え方の違う相手はどこにでもいて

話をすることでお互いの違いが分かると

受け入れあって距離を取ったり縮めたりします。

 

ところが

自分だけが違う考え方をしていて それが伝わり

周りからあまり良いイメージを持たれなくなり

話すほどに予期せぬ違う方向へ離れていく場合もあって

 

これは本当にどうしたものかと思うのですが

今の世の中でささやかれている「分断」を生みだす空気とは

どちらが正しいか、勝ちか、上か・・・という攻防もあり

なんとなくいつの間にか、出来上がった空気に巻き込まれて

本来 豊かに助け合いながら生きていくはずの関係でも

そうは行かなくなってしまうことは多々あります。

 

 

生きてきた立場や習慣の違いから 

それぞれの世界観を強化しながら生きています。

それに気付くのは 意見交換だけでなく

お互いの些細な反応から、私たちは自分の中で

それを分類し、自分の意見や経験と照らし合わせて

対応を変えたり、相手に合わせたり、戦ったりします。

 

そして経験から、時に 

初めから相手に対して先入観を持ち

言葉を交わす前から 関係を持たなかったり

対応を限定したりもします。

 

 

世界観の近い関係の中で生きていられたら

気持ちも楽で 自然体の自分で生きられる確率は高く

やりたい事に取り組みやすいように思います。

 

 

 

 

私は最近まで気づかなかったのですが、

自分の世界観の近い人にあまり会えていないまま

きてしまったのではないかと思っています。

 

子どもの頃に周りの子どもの気持ちに共感できなかったし、

周りの大人の微妙な態度を理解するのに苦しかったし、

安心して入り浸れそうになった場所でも無理をしていました。

 

緩やかな時代で、恵まれていなかったわけではないので

周りから見たら私のこの思いとは違うと思います。

 

努力して周りから浮かないように、

周りを優先し、合わせるように頑張っていました。

親が望んだ私の未来は「普通でいい」と言われていて、

反抗期でさえ、最終的には罪悪感が湧いてきて

親の言うことを受け入れていました。

 

親から離れた後も、

そのころの習慣による考え方は根付き、

漠然とした不自由な自分を感じます。

 

内向的なことを周知されるのが不利なことと感じ、

なんとか積極的になる努力もしたつもりですが、

受身な態度と臆病さが かえって目立ち、

集団の中でぎこちなさ、居心地の悪さを

感じる場面も多い方でした。

 

 

 

しかし、親になり必要で人と話すうちに変わった面もあります。

親としての世界が始まって、親初心者として体験する物事が

年月をかけて世界観を変えていきました。

子ども好きだと思っていた若い頃とは全く違う見え方で

子どもを見ている目を持つようになっていました。

親という立場になったから見えてきたことでした。

 

 

そして、親になっても変わらず、不自由を感じるのは

努力して周りから浮かないように馴染むことです。

周りとやっていることが違っていて、

自分はそれが良いと思うからやっているけれど

一般的ではない、ごく少数派なことに対して

堂々としていられないところがあります。

人と違うことで避けられてしまうことが怖いですし、

理解を得るための努力がとても疲れること知ってしまって

人との距離を縮める努力に気が重くなっています。

 

どうにもならない閉塞感から

それも仕方ないことだと思ってみると少し気持ちも

楽になり、自分を責めずに考えてみると

 

これは世界の見え方の違いが大きいのではないかと

気がつきました。

 

そして

この人生のわりと初めの方から、

そういうことだったのではないかと感じました。

 

 

心から安心している環境から見える世界と

不安や暗雲を感じながらの世界の景色も

違って見えるものです。

 

 

同じ世界のようだけれど

正確には違う世界を見ているのだから、

価値観も全く違ってしまうということです。

 

 

正しいと見ていることも違う世界観では、

正しいものではなくなり、逆の解釈になります。

 

そのせいで、話していても平行線になるとか

話が噛み合わなくなる事は よくあると思います。

 

 

そういう時には

もっと見極めようとする姿勢が持てれば

見えてくるものが それなりに変わってきます。

 

 

未知の事実に出会い、混乱を引き起こすこともありますが

最終的に自分で考え、自分の意見を持つ位置まで来て

あとはそれを自分としてはどうしていくのか決める。

 

 

それは 自分の世界観の構築に影響する時間です。

 

 

世界の見え方が 少しだけ変わる時はいつも身近にあって

うまくいったことも、いかなかったことも

この先の人生に生きてくるということが

後になってから、実感を持って思えるときがあります。

 

 

どうしても譲れないことが何なのか、

これからは どんな世界を見たいのか、

もしかしたら私たちはもっと選べるのかもしれません。

 

 

正しいのか、間違っているのか・・・。 

 

少しだけそこから目を離し、

見極めようとする目を持って

鋭く見たり、眺めたり。

 

本来、そもそも、元々・・・

という立ち位置にも移動してみたり。

 

それまで気づかなかった発見に戸惑いつつも 

自分の方向性が見えてくることは心強いことです。

 

違う見方をする相手の世界がどうであれ

自分の世界の見え方が成長することで

お互いの世界が見えていくような気がしました。

 

 

きっと人の目的は、突き詰めれば

シンプルで普遍的で幸せなものでしょう。

 

 

そんな話ができるくらいに

世界観を出し合えたら面白いと思います。