VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

依存心

それは支配とセットである。

 

 

依存心が強いからプライドを捨てて

支配される環境に居続けられる。

 

 

依存心が強いから、支配を許し

支配できる立場(コントロールする側)を

強くする。

 

 

支配は依存とセット。

コントロールをやめないのは

コントロールされる側に依存しているから。

 

 

その弱さ、柔らかさに甘えているから。

「受け入れ」にあまえているから。

 

 

この構造はどうして起こるのか?

 

○一人になるのが怖い

 

生きていけないと知っているから。

私は、一人暮らしをしたことがないから

本当に一人になったら、怖さを感じると思う。

 

○人に助けを求められない

 

プライド。

かっこ悪いという思い込み。

助けてもらえるとは限らない。

離れていく。嫌がられる。

 

 

一人になるのは怖いが、

助けを求めるのも嫌。

 

だから 一人にならないために

自分から助けを求めなくても

助けてもらえるようにする言動を

とっている。

 

つまり、嫌われないための行動。

 

例えば

 

無理して付き合うのは、おべっかに繋がる

気を使うのは、安心してないから

世話を焼くのは、同情とお節介

優しさを示すのは、偽善では?

話を聞くのは、社交の形式

 

これが、嫌われないための行動。

 

つまり・・・

 

嫌われている前提である。

 

どうせ嫌われているんだろう。

私みたいなのは好かれてない。

過去にこんな目にあってる。

過去にこんなこと言われた。

謝ってもらえなかった。

 

だから

 

人と距離がある。

自己否定の成れの果て。

 

やっぱり嫌われたかな?

だって連絡がない。

会ったときに壁を感じる。

 

母からのトラウマは大きい。

人を信じきれないところが大きい。

しかし

好かれたい 愛されたいって執着していて

依存ぐせがついてしまっているから

 

 

それはやめて なくして

 

新しい景色を見たい。

未来思考でありたい。

 

 

どうしたらいいのかな?

 

どうやったら脱することができるだろう?

毎日欠かさずその方向へ直進できるだろう?

 

 

そもそも依存をなくすことはできない。

ただ、依存を病や呪縛のような、

よくないものとして考えてしまう今

私の考えの進化として

何か自主的なものを内側から欲している。

 

 

 

大きな組織

一つのチーム

家族

 

これらはざっくりと

生存を含む一つの目的のために

協力しあって成り立っている。

そして中心に寄り集まっているその姿から

強いもの、大きいものに集まり

コントロール下に置かれ

個々のためよりも全体のために

成長していく。

 

 

個々の目的よりも

その集団の目的にしたがって動いていく。

その中で依存しあい、

周りからはひとかたまりの力として

認識されている。

 

 

けれども、依存しあっていることよりも

力強く正義、正論を生き、

個々が生命力ある姿で存在するのが

印象的な人たちがいる。

 

 

強い立場でも弱い立場でも関係なく

正常な目的のために

明るく幸せな未来のために

力強く歩もうとする個々の力強さ。

その生命力ある姿は

他の者の生命力も呼び覚ます。

 

 

 

生命力を取り戻した者たちの

心の変遷は、どのようだったのだろうか?

 

 

本当にこれでいいのかと自分に問う

考え直す

あきらめるのを辞める

もういちど調べ倒す

決意を新たにする

考え抜く

やり遂げる

見極める

振り返らず進む

本当に良いことは何か考える

 

 

これまでよりも格段

主人公のように行動したのではないだろうか?

 

 

幸せな人の普段の安定感は

考える生物である特質を

本来の生命の目的の中で高め

常にそれをよりよく求め続けることで

生み出されている。

 

 

幸せな人は、そんな存在。

そんな存在に私もなれるだろうか?

 

なりたければきっと、なれるのだ。

この道への思考は間違っていないように思う。

身体がそれについていくことが大切だ。

 

 

依存した体と心が動き出し

生き生きと

自分の本来の姿を取り戻したら?

 

現実の中で より幸せに生きる自分を

自分が、見たいのだ。

 

 

そうだ。

今から未来・・・

どんな自分が見たいか考えよう。