VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

変わっていくこと

人間関係をたいせつにする為の

私のやり方は、相手の要望を知り

それに応える努力をすることでした。

 

それは、人と摩擦を起こさず、

スムーズに運ぶためであり

欠かせないことでした。

 

生い立ちの中で、自己主張よりも

周りに譲ることや気遣いをすることを

良しとされ育ってきました。

社会に認められる範囲でいるよう

道筋をつけられてきました。

 

 

親を悩ませることはあったものの、

大人になっても、親と離れても

伸び伸びと生きることはありません。

 

それが自分の苦しみに収まらず

縮こまった自己は、臆病で

他者に近づくことに消極的で

自己開示と共感に抵抗を示し、

人間関係を苦手なぎこちなく

難しいものに導きました。

 

 

いつの間にか、自分を縛る考え方で

日々、苦しむことになり

目の前の関係を乗り切ることで

精一杯になっていました。

 

 

人と会うのには、ちょっとした

心の準備が必要になっていきました。

 

 

人が怖いと思い

人によく思われてないと感じ

人を選ばないと自分を

そのままでは出せなくなりました。

 

 

様々な経験で慣れることもありますが、

その時だけで 継続できないことが多く

そのような態度は 人に伝わるので

親しく声をかけられることも少ないです。

 

でも、人嫌いではないのです。

人がうちに来てくれることも

べつに嫌いではありません。

楽しそうという予感すら

頭をかすめ、楽しみにもします。

何か、もてなしたいと思うし、

おしゃべりして充実したいと思います。

私も融合したいのです。

 

しかしそこに

私をモヤモヤさせる感情が

いつも湧いていてきます。

自分がそうしたいから、そうする

そうしたくないから、そうしない

それだけで まずはシンプルなことも

相手を優先しなければいけないのでは?

状況的に 後から面倒なことになるかも。

みんなが満足するように私はできない・・・。

相手の状況をもっと考えないと!

・・・と、何をやっても進まなくなるような

考えが浮かんできます。

 

 

楽しみな気持ちは萎んでいき、

現実化しても しなくても

マイナス面しか見えなくなります。

楽しいはずのことも、楽しいどころか

難儀なアクシデントのように

面倒になってきて気持ちが重くなります。

でもやらなきゃいけないんだ

とプレッシャーのように感じてきて

このあたりから追い詰められた気分で

ちょっと支離滅裂なことを言い始めます。

周りは、私の意見を取り入れるために

話し始めますが、私はもう

すでに疲れ果てて機嫌が悪くなっています。

 

これは、自分の中だけに収めようとしても

今まで 近しい関係ほど顔にも出てしまって

その場の空気を微妙に、ある時は険悪に

してしまった経験があります。

 

 

そんな自分は嫌なので、

その状態に陥ることを

私は恐れるようになりました。

そして願いは叶わず、

幸か不幸か人との出会いは続き

私なりに実らない努力の末

うまくいかない感じを

何度も繰り返すたびに

変わらない自分を責め

身近な人の機嫌を損ねることも

日々何年にも渡り、ありました。

 

 

 

 

しかし人は、責められなかったとき

新しい境地に行けることもあります。

 

 

やっと私にもそんなチャンスが訪れて

自分の中に抱える違和感をつかみ

解明することができました。

自分を責めるよりも、相反する

心の中に違和感を持てたのです。

 

 

どうしてこんなに無駄な思考回路で

勝手に悪く考えて拗らせてしまうのか?

周りは私が思っているより優しいし

大らかに受け止めているのに・・・。

自分の考えを伝えてくれてるだけなのに

私が主張する余地がなくなる気持ち

振り回されるだけの虚しい気持ちに

覆われて不機嫌になっているのか?

私だけが・・・。

 

 

そうして

 

私がどうしてこんな面倒な思考回路を

繰り返してやめられないか

 

 

何かルールを守っているとしか

思えないと思えてきたのです。

 

 

この自分でかけている負荷のようなもの

思い切って出し切ろうにも出せない感

自分なのに抜け殻のような疲弊感

これは、誰でも持っているものではなく

私はとても思い込んでいるようです。

 

 

そして、一番しっくりきたのは

親のために成長しないでいる。

そういう選択をしている、

のではないかという事です。

 

 

親の望む私の性格、世間でのあり方は

親の持つ理想です。

 

わたし個人としては、

わたし個人の成長があるので

親の想定以上の成長があるのです。

 

 

親が望む私は、

いつも親の言うことを聞く以外に

親のイメージ通り、想定内の人間で

尚且つ 親の評判も高めてくれるような

良い子に集約されています。

 

親に心配かけることがあれば

すでに親の望む私ではないので

親は私を責めることができます。

謝るか、反省の証拠を見せるか

素直そうな態度を見せるかしない限り

親の責める態度は続きます。

 

 

平行線の関係は、今も続いています。

 

 

私は、何度も良い人格になるように

努力しながら 歳をとり

好ましい態度をようやく身につけることができました。

今は、良好な関係と言えるでしょう。

 

 

たぶん、理想の子どもは心地よくても

本来の私の持ち味にあまり関心はなく

親は受け止め手を必要としていた心境で

それがわかっていくたびに、さまざまな感情の末

私は だんだんと心の距離を取ってきました。

 

 

 

それが・・・

 

 

その代償に、人間関係がぎこちない

未熟な心の状態を保ち続けることになって

いたとは気づきませんでした。

 

 

子どもは 親のために

成長しない!ということまで

実行するんだなあとびっくりしました。

 

 

そしてもう、

親の望んだ自分かどうかは どうでもよくて

変わっていいんだと思いました。

成長を止めていたのは自分という

恐ろしい結末ですが、

押さえつけていた網が外れた植物のように、

身体をのばし風を感じて成長していこうと

心を新たにしたのでした。

 

 

 

その日、生まれて初めて

自分が自分と相談して決めた

今月の小さな目標を作れました。

 

 

いままで目標を持つのはそれだけで

気が重くなり、できないで終わることも

多く、わかっていても遠ざけたくなって

計画を立てることもしなくなっていました。

今も その感覚になると、嫌な味が

胸に上ってくるような感じです。

 

 

親の理想に近づくことが無意識に目標で

本気でやりたいわけでもないのに

頑張り続けているうちに果ててきて

目標を持つこと自体を避けたくなっても

しかたないことです。

 

 

目標を作りたくなった私は

小さな目標と実行のタイミングを決め

実行するごとに活力もアップするような

もくろみですが、悪循環を解消したいので

自分のスピードも上げていく予定です。

 

 

一つ目は、「運動すること」です。

自分が縛られるように感じることを省き

身体を動かしていれば良しとしました。

動き続けていられたら、いつの間にか

筋トレやヨガらしきこともやるので

体は 自然に無理なく まんべんなく

身体を動かすのを楽しむのが

本来の良い状態なのかなと思います。

 

 

もう一つ、「10時に寝る」です。

これは自分に強制することにしました。

きっちり守れてはいませんが、

これぐらいにしたほうが時間を守り

余計な行動をせず、大事な睡眠を

ちゃんと取るから、翌日のスタートが

楽になっていくのではと思います。

 

 

 

成長とは変わっていくこと

変わっていくことを受け入れる

私は笑顔で受け入れる

変わっていこう。