VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

生命力

家の庭から外壁の亀裂に向かって、

アリが長い列をなして大移動中。

何度も見つけ

その度に水を流して追い払っています。

 

 

そのうち、あまりに数が多いので

これは どうしようかと思いました。

 

列は庭のどこかから続いていて、

列を辿りながら 観察すると

卵を頭上に掲げて歩いているアリもいました。

 

これは本格的に巣を移動している。

 

雨が続き、水浸しの巣穴は

住めたものじゃないのかもしれません。

 

でも、我が家に住み込まれても結局

殺さなければならないのは嫌で、

殺虫剤を使うのも嫌で あまり害のない物で

なんとかできないものかと考えます。

 

 

調べるよりとりあえず、

アリが潜り込もうとする穴を塩で塞ぎました。

行列の途中に砂糖で低い壁を作ってみて

アリがどうするのか見ると、

すぐに群がるわけではなく

壁を境にだんだん列が滞り

方向を見失ったようでした。

けれども その中で、

全く立ち止まることもなく まっすぐに

砂糖の壁を越えていく者がいました。

強靭な歩みで先を急ぐアリは、複数いました。

 

 

私は、アリの生命力に惹きつけられて、

さらに その列に顔を近づけていました。

 

雨続きで巣穴が危なくなった集団が

生存をかけて移動するに至っていて

この数で出発した全員が新しい家に

辿り着けるかもわからない時、

 

目の前に全神経を惹きつける

強烈なものが現れたのに

まっすぐ目的地に歩いていく。

 

それは この今を切り抜ける者。

今 集団の命をつなぐ者。

 

意志ではなく無意識に

今はそうする命として

生まれて来ているのでしょうか?

 

 

数の中で自然と振り分けられる 

役割分担のようなものがそれぞれの

集団の姿の中にあると思います。

 

中でもこうして多くが立ち止まりそうな時

順調だった状況によくない兆しが見えた時

歩みを止めず、本来の役割を失わない者が

いたならば、その集団は

まだ表面化していない違和感や

ほんの小さな油断による

アクシデントやダメージを最小限にして、

なるべく多くの生命を守り、

種の存続が叶う気がしました。

 

 

そう気づいたのは、

そうやって前進していく個体のいくつかが

頭上に卵を持ち上げている者だったからです。

 

 

何も持たない個体よりも力強く

猛烈に走り抜けていくのを間近で見て

私は、「かっこいい!」と感嘆していました。

 

 

体の強い個体であることを度外視して

実際これらのアリがどれほど

見た通り生き残っていくかはわかりません。

 

 

小さな命を繋いでいく本能が強い者。

全体の目的の流れを全うする者。

 

 

集団において 

そういう個体が全体の中で欠かせない、

必要で大きな役割を果たすことは

人間社会でも、気づくことがあると思います。

 

 

 

普段アリを見るように見落としていますが、

圧倒的に強い生命力を持つ者に感じる生命力

とはまた違う、

全体の中で全体のために本能的に

動いていく中にも

私たちが持つ優れた生命力の働きが

あるように思います。

 

 

 

私たちの毎日は、

目立たないこの静かな生命力によって

命の多くを支えられている。

 

 

目に映るものだけでなく こんな側面にも

生命力を感じることができるものだなあと

感慨にふけったのでした。

 

 

私は アリに入られないように、

しっかりと家の亀裂に塩を埋め込み、

実験的に砂糖を撒いて観察し、

家族の一言でカラシも地面にふりかけて

これといった決定打もないまま、

アリとの攻防戦を切り上げました。

 

 

行列がいなくなっていたり増えていたりして

あまり大きな変化は見られませんでしたが、

アリは去っていないことから、

どこかから少しは入っているかもしれません。

翌朝には少し少なめの列があり、

亀裂周辺にいたアリは

中に入れそうになくウロウロしていました。

 

 

庭のどこかにアリが巣を作れるような

安全なものを置いてやればいいとも

考えましたが、今は何もしていません。

アリよりも余裕のある私はそんなふうに、

アリの生存を左右できるような立場で 

ものを見ています。

 

 

 

全体の力で新しい住処を確保しようと、

一家で押し寄せているアリから

ダイレクトに生命力のありようを見せられて、

その印象が、圧倒的な強さとして残りました。

では、翻って

自然の中の人間について考えると

小さなアリほどにもたくましくなく

生命力そのものから離れたものとか、

はっきりイメージの湧かないもののように

感じました。

 

 

この体験からは

”鮮やかな生命力を持つものに出会う時、

その命をただ見つめ、感じるなら

私たちの生命力にも栄養をもらう”

という感想を持ちました。

 

 

そんな時間を日常に持つのは

贅沢ではなく、実は必須で

大切だったのではないでしょうか。

 

 

 

私たちも

自然の一部と言われるように

この生命力で

他の生命体とも

影響を与え合うのですから。