子育てと家事だけで音をあげていた頃、
疲労がたまり、何をするにも苦痛で、
ついに「めんどくさい」と言うのが
口癖になってしまいました。
すると数年後、見事に
子供の口癖まで「めんどくさい」になり、
多大な後悔をすることになりました。
その口癖をやめてほしくて
私が言うのをやめるようにして
子供にもそれは使わない方が良いことを
伝えたものの、マインドにも浸透していった
「めんどくさい」は今も度々
我が家の中で 平然と存在しています。
先日、ついに私自身も 大声で
「めんどくさい」を吐き捨てました。
家族には聞こえないような場所で
何度も感情あらわに「めんどくさい!」と
言い続け、そうしても
ちっとも気分がよくはならないので
あとは ため息と唸り声でした。
結局、この言葉を使うほど、
何もかもめんどくさいとまで発展するだけで
失われるものは大きい気がしました。
じゃ、どうすればいいんだろう?
負のループの外側から眺めてみなくては!
⑴「めんどくさい」と言わない人
言わない人がいる。
言わない人は、我慢しているのだろうか?
めんどくさいことから逃れているから?
でも、全部から逃げられるわけじゃない。
言わなくて済むようにしているのでは?
⑵「めんどくさい」をよく見ると・・・
考えたりなくてとりあえずの結果。
突き詰めていない。
徹底して満足の追求をしていない。
⑶「めんどくさい」には理由がある
ただ疲れている。
巻き込まれた。
自分が甘かった。
苦手なこと。
時間がかかること。
意味を見出せない時。
考えているうちに先に進むヒントが・・・
これは・・・
「めんどくさい」→「考えろ!」かな、と。
めんどくさいこと、例えば毎日のことを
ルーティンにしてしまえば、かなり
減少させることができるのは知られています。
実際、ルーティン化できていないことは、
迷いが生じて、めんどくさい思いもしますし
ちょっとしたミスや忘れ物、アクシデントの
元になることもあります。
ただルーティン化するだけでなく
めんどくさくならないように
考えて組み立てることが必要で
そのためには根本から考え直さなければ
いけないこともあるかもしれません。
「めんどくさい」を連呼する状況にあるのは、
問題の根元が見えていないと言えるので
ここは、考えることで自分の手助けができます。
では、私の「めんどくさい」を考えてみます。
⑴些細なことがめんどくさい
○ 疲れている・寝不足 → 寝る
○体力不足・筋力不足 → 運動・筋トレ
⑵トラブルがめんどくさい
○自分に関係ないのに巻き込まれてる
→ 聞き流しでよし
○自分が見立ての甘かったことで
慌てるはめに・・・ →日々の見直し
⑶人付き合いがめんどくさい
○行事、しきたりが苦手 → 最低限でよし
○大勢の付き合いが苦手 →大きな声で挨拶
丁寧に接する
苦手でOK
○新しい人間関係を広げるのが苦手
→自然体で良い
自分の世界を充実
⑷雑用・家事がめんどくさい
○時間がかかる → ルーティン化を進める
○一人でやってる感につかまる
→ だんだんやらなくなろう
自分の時間を多く取ろう
○エンドレス感にやられる
→ 切り捨てる
楽しみを作り時短をはかる
⑸自分のケアがめんどくさい
○食事や自分の支度、服装、体調管理、
持ち物が整えられていないまま雑になる
→やればやるほど調子が
底上げされると早く知ろう
⑹目的を達するまでがめんどくさい
○家事をする動線が長く感じる
→配置の見直し
○物の管理が複雑になっている
→減らして、簡単にする
めんどくさい原因と対処法を考えました。
一気に考えたので完成形とはいえませんが、
おもしろいと思ったのは
考えただけでも
蓄積していた「めんどくさい」の思いと
めんどくさいと反応していた事が
消えて頭がスーッと冴えたように
感じたことです。
ピースを揃えるとひとかたまり一気に消える
人気のパズルゲームみたいでした。
そして
さっきよりも気力が満ちている気がします。
「めんどくさい」よりも
自分の「課題」を見はじめて
そのことを考えています。
筋力・体力をつければいい。
ルーティン整えればいい。
簡単にすればいい。
早めにやっとけばいい。
そういう方向を考え始めているから
そっちの方向に動けていくに違いない。
ちょっとした自分への信頼と希望。
自分の頭を充分使ってこなかったなら
これから使う。
自分の体を充分使ってこなかったなら
これから充分 動かす。
これは、考え続けてみよう。
その方が楽しいから。