VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

心と身体⑴

学生だった頃、ふと

 

部活で体がきついのと、

テストや受験の勉強に

集中しなければいけないのと

どちらが辛いだろうなどと

思ったことがあります。

 

運動が苦手で、

数学が極端に苦手だったので、

この答えは なかなか出せず

敢えて言えば、わずかの差で勉強かなあと

結論づけていました。

 

 

 

私は物心つく前、

よく飲みよく食べ

次に生まれた弟が残したミルクまで飲み干す

たくましそうな子でしたが、

幼少時はよくリンパ腺を腫らし、

電車に乗っていく先にある県立病院で

注射を打ってもらっていました。

両親も特に運動をする方ではなく

家族の記憶はバドミントンなどする程度。

子供同士の外遊びも体を動かすというより

ゴッコ遊びが中心でした。

 

 

体育は苦手科目でした。

 

 

心のどこかには、

私は運動が苦手。

速く走れない。体力もない。

ドッヂボールは逃げるしかない。

頑張ってもできないという悩みがあり

すぐに疲れてしまい、努力が続きませんでした。

 

 

その後、

小学6年生の時、肺炎になりかけました。

 

それは

夏休み、私と弟の勉強を見てくれるように

親が知り合いのお兄さんに頼み、

暑い日の昼間の数時間、家に来てもらった日の事です。

 

小学生時代、一度も夏休み中に

宿題を終わらせたことのなかった私は、

扇風機の風を受けながら

汗をだらだら流し

普段なら1ページ進むのもやっとの

計算ドリルを何ページもこなしました。

できる限り自分でやろうと 

頭はフル回転。

知り合いとは言っても、

小さい時に遊んでもらって久しぶりに会った

当時、大学生のお兄さんに緊張し、

ああやればできると錯覚しそうなほど

ドリルが進みました。

 

その夜は、まさに知恵熱。

熱が出て、そこから肺炎になりかけ

残りの夏休みは何もできなくなりました。

 

病院のベッドが空いてないということで、

1週間くらい毎日太い注射を打ちに行き

夏休み明けから年内は体育は見学で、

苦手だから困らなかったものの

少しくらいは残念にも思いました。

 

 

そしてまた少し、自分が人よりも弱いと感じました。

 

 

強くなりたいな。

体力がないな。

体力をなんとかしなくてはいけないな。

 

 

そんなふうに思いながら、そのための行動が続かず

運動に楽しさを見出せないことが悩みでした。

 

 

今ならわかるのですが、

私は特別弱いわけではなく

運動神経が悪すぎたわけではなく

もっと楽しく日常を生きられていたら

活発な子供の一面もあったかもしれないです。

 

 

高学年の時のいくつかの

挫折感。

孤独感。

寂しさ。

罪悪感。

悔しさ。

 

自己肯定感が下がりすぎてしまい

それらをバネにできなかった私。

そんな負のスパイラルの中では

思うようにならない思いに苦しむだけでなく

 

身体も 

 

伸び伸びと動かせなかったり

ストレスに弱かったりしてしまう。

 

過去を思い出すと

実はボロボロだったんだなと思います。

 

 

 

 

20代になって

会社員だった時、職場の先輩たちに

スキーに連れていってもらいました。

身長の近い先輩がお古のスキー板をくれて

休みごとに朝の暗いうちに集合し、

日帰りで早朝からリフトが止まるまで。

 

全くの初心者の私は、転んでばかりです。

それでもそれを待っていてくれる

アドバイスをしてくれる

優しい人たちでした。

 

大人しくて時に場をしらけさせるような

会話下手な私にも

声をかけてくれる人たちでした。

 

緊張しながらもスキーにいくのは

楽しみになり 

 

 

やがて自分から

「転んだら誰より速く起き上がろう。」

と決めました。

 

 

転んで凹む気持ちになる前に

即 起き上がる

そして立ち上がる。

すぐ滑り出す!

 

それを一人黙々と続けていると

そんな自分がおもしろいのと同時に

転んで起き上がること自体が

楽しくなってきました。

 

そして

ガンガン滑る二人の同期を追いかけて

泣く泣く滑り抜いた2泊3日を経て

ボーゲンから足を揃えられようになり

こぶばかりのゾーンや

なかなかの急斜面

雪の下に凍結した面がある場所も

挑戦的に滑べれるようになりました。

 

今では、

スキーはできるスポーツとして挙げられます。

上手かどうかは別として。

 

 

 

心の満たされ方が身体に与えるものは

案外 大きいのかもしれません。