VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

「つらさ」とは?

毎日の中で「つらい」と感じると

一瞬でその辛さは力を増し、

身体を痛めるような感情でいっぱいに・・・

そんな経験は、誰にでも

あることではないでしょうか?

 

 

ある日、ただの家事の途中

平和な日常のはずの一コマで

溜まっていた疲れと、思うようにならない事

抱えた気持ち、過去の失敗の記憶・・・

くらいなものによって、メンタルは揺らぎ

つい、「つらさ」に捕まってしまいました。

 

 

幸運にも、感情に任せる元気もなかったため

「つらさ」について

考察を深めることになりました。

 

 

家事を力ずくで行いながら

心は止め処もなくつぶやきを吐露します。

 

 

 

「つらい・・・なんてつらいんだ

なんでこんなにつらいんだ・・・

なんで何度もつらいんだ・・・

このつらいのって何なんだ・・・?」

 

 

 

「つらさ」は

避けたいもの、体験したくないものです。

体験するとそのダメージは大きく

いつの間にか気力が失われていき

回復するまでに時間がかかるので、

私としては 

陥りたくない落とし穴です。

 

 

学習やトレーニングも継続には

当然、人一倍の「つらさ」が伴うわけですが、

それを感じながら、別の感覚に取り替え

制することができる人なら

頭角を現すような気がします。

でも その人たちも、

初めからできたわけではなくて

相当の努力があって更に

そこにかけた時間は膨大なもの。

頭角を現した後も、大きく成長、発展していく

その姿に憧れますが、真似することができず

自分とは違う優秀な人として見ていました。

 

 

一方で、つらさの渦中にいる人の

つらさに勝手に共感し、

一人で頑張って苦しかった自分と同様に

その人もきっと

誰かの助けが必要だと思っていました。

そのため、時々は勇気を出して

助力を申し出ることを心がけてきました。

 

 

 

問題は そうやって生きてきて

私自身の「つらさ」は

何も変わらないことです。

 

 

 

この誰もが体験するそれぞれの

「つらさ」というものには 

威力を感じてしまいます。

外から内からやってくる、

嵐のような忍耐を要するもの。

否応なく立ち止まらせ、考えさせ、

根底から動かしてくる

容易には、コントロールできない

猛烈な力のようなもの。

 

そうなんだけど・・・

 

 これは、

なぜ存在するんだろうか・・・?

 

 

「つらさ」に飲み込まれていた私は

激しい感情でそれを悲しんでいましたが、

その存在理由に ふと気持ちが向かいました。

 

 

手加減なく気まぐれにやってくる波が残すのは

そういえば 苦しみだけではないようだ。

「つらさ」をうまく耐えたとき、

「つらさ」の真っ只中に勢いをつけられた時、

「つらさ」から立ち上がったとき、

それは目の前を阻むものとは見えなくなった。

 

きっと「つらさ」は伴奏者となったのだ。

 

 

私でも、成功と呼びたい体験や、自信、

今までと違う新しいものの見方を

得てから先には、確かに前進があった。

人生の選択肢が広がり、集中力が高まり

それまでの自分よりも強化されたのか。

 

「つらさ」とともに駆け抜けたから?

 

 

なんだか・・・

実は良いものなんじゃないか・・・?

 

 

 

急に、頭の中が明るくなり、笑いたくなって

自分がおかしなことを考え出したことに

本当に笑い出しました。

 

 

実は「つらさ」を欲しているのか。

「つらさ」を好んで選んでいるのか。

いったいなんなんだ・・・?

 

 

実はつらいことが起こっているその時

ものすごい成長できる場面にいる。

「つらさ」には もしかしたら

喜ぶべきエネルギーが集中している。

そこから大きく逃げるよりも、

そんな大きなチャンスが巡ってきた私や

そんなチャンスの渦中にいる誰かは

もっと外側から自分の状況を観察したら、

まずは、おめでとう、くらいのものか?

 

 

そしてそれに対して 少なくとも今は

逃げないで 立ち向かっている。

 

だから、「つらい」。

 

この「つらさ」と共に 今

この時を超えて行こうとしている。

「つらい」のに・・・。

 

 

ちょっと先にいる自分はきっと理解している。

「つらい」を終えた自分がいるのを。

 

 

 

 

すると私の中に出てきた構図は

「つらい」→「尊い」でした。

 

 

「つらい」ことは尊く、「つらさ」の渦中で

自分を集中的に磨き上げている、尊い姿。

 

 

逃げようとしてもすぐには逃げ出さない時

そこから何かを拾い上げようとしている。

 

 

 

私が、助けを必要としていると見えた人も

自分の力量を上げ、その可能性を広げている。

大きな成果を上げるための今に

没頭しているところなんだ・・・。

 

 

そう思ったら

 スッと呼吸が楽になりました。

 

 

「つらさ」に出会った時、また何度も

追い返したくなるかもしれませんが、

この考察を思い出したときには、

それなりの大きなチャンスゾーンが

私にも来ているんだと捉えなおし、

その「尊い」時間の中にいる自分に対し

見方を変えられるかもしれません。

 

 

そこで拾い上げるものを拾い上げたら、

違う景色に続く道に気づくでしょう。

そう思うことで、「つらい」時間の体感は

なにか変わるかもしれません。

無意味に「つらい」ってことはなくて

それも階段の一つにできるものだと

いつか腑に落ちていくでしょう。

 

 

今これが、

私の「つらさ」からの拾いものです。