VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

自分を大切にすること

どちらかと言うと人の意見を聞き、

自分の意見を主張しない、

そういう風に生きてきました。

 

それが正しいと思い、

そうすれば人に好かれると信じ、

そうでなければ必要とされない。

 

そんな寂しい観念を持っていて

 

転校した経験から、転校生に優しくし、

家庭科の調理実習の時、その子が休んだので

ウチで同じものを作って持っていったこともあります。

 

遠足のバスの席が二人ずつ座ると、

誰かが一人で座らなければならないと分かれば、

「私一人でいいよ。」と言って一人で座りました。

 

宿泊学習の部屋では、並べて布団を敷くため、

人の出入りがある部屋の入り口に

誰かが敷かなくてはいけなくて、

みんなが避けているようだったので

私が進んで布団を敷きました。

 

誰にも頼まれていないし、

仲間はずれにもされていないけど、

みんなと同じに楽しめてはいませんでした。

今思うと自己犠牲的ですが、

誰よりそういう行動をとるところがありました。

 

「みんなが耐えられないことを

私なら耐えられるから、いいよ。」

 

という気持ちでした。

 

今なら、何の意味があるんだと思いますが、

そういう妄想のような中にいました。

 

 

幼い頃、母は家事と育児をうまく回せず、その上

少し体の弱かった弟に手がかかっていました。

甘えようにも、いつも機嫌の悪い母には

怒られてばかり。

よその人に褒められると嬉しくて

有頂天になった私が

「お母さん、お父さんにも褒められたこと言ってね。」

と言えば、ひどく睨まれました。

 

思えばだんだんと

 

自分らしい元気さや

自分の言いたいことを言うこと、

自分は愛されている安心感、

自分を認めること、

自分を愛すること、が

しぼんでいったのだと思います。

 

子供ならではの自分を大切にする行為

愛を要求することに

手応えを感じなくなって

母を求めながら、

求めても決して得られない・・・。

それが私を変えていったと思います。

 

 

そんな母が、私が大人になってある時、

来客の前で、私のことを褒めたことがありました。

それは、明らかに

いつの間にかそういう母になったのではなく、

思うところあって、

これからはそうしようと

私のために行動を変えたのだとわかりました。

 

その時の私にはそれがもう響くものではなく、

今頃どうしたのかと言う気持ちでした。

 

自分が同じ立場になって、

当時の母の大変さがわかったとしても、

母よりも精神的に大人になるしか

関係性の維持は むずかしいと言うことが

たくさんありました。

 

戦時中に子育てされた母は、

弟である叔父が年子だったので、

甘えるどころか家族の朝ごはんを作り、

風呂を焚き・・・というように

祖母に仕込まれてきて、

女の子は嫁に行けるようにという前提で

弟より手伝わされることも多く

それを身につけ、たぶん

私にもそう教えようとしただけでした。

 

機嫌の悪い顔しか記憶になく、

話し掛けても、嫌な思いばかりになり、

小学生ではもう、自分からは

学校であったことを話さなくなっていました。

母は、同級生の親や先生に聞いたりして

不足した情報を集めていたようです。

それを母に指摘された時も、母が

また文句を言っているとしか感じませんでした。

 

残念ながら、幼い頃の母との関係で、

聞いて欲しいとか、話したいとかの欲求が叶わず

いじけ果ててしまったようで、少し無気力で、

人と話すことはどちらかというと

苦手になっていました。

 

この性格に不安を感じ、自分を嫌いになり、

変えなければいけないと思いました。

新聞広告に催眠療法が載っていて、

どうしても無理なら、ここに行くしかないと思い

記事の切り抜きを

徒手帳に挟んで持っていたこともあります。 

 

私の場合、

そういう風に生き続けたら、

自分が好きなことややりたい事、望んでいる事を

自覚するのが難しくなり、

大切なはずの自分のことを

後回しにし、

自分の人生が周り次第と

捉えるようになっていきました。

 

ほとんどの選択がそのように流れて、

何度も、もう一度立ち上がろうとしても

うまくいかなかったです。

 

でも最近、その嫌な経験と、

立ち上がろうと挑戦してうまくいかなかったことや、

続かなかったことも、うまくいくまでのプロセスのうちで

諦めなければ、何度でもやってみればいいという

考えが受け入れられるようになりました。

 

ビジネス系の動画や記事を見ていたら、

成功者と言われている人に多い

このしなやかな考え方は私にはなかったもので、

居た堪れなかった気持ち、

行き止まりに感じていた日常に

続きの道を新たに作っていく希望が、

トライしてみようという気持ちが

生まれてきました。

 

今までは人に愛されるために

苦手なことに向き合って

何とか克服しようとして長く続かず、

あまりうまくいきませんでした。

ただ、今は少し違った感じです。

 

自分を大切にしていったら、

どんな未来が見えてくるのだろう。

自分を大切にすることで

何が変わってくるのだろうか?

 

と、新しい切り口で

この取り組みにもっと集中していきたい意欲が

生まれています。

命を大切にできる自分で

生きていきたいからです。