VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

味方

元気が出ない時、

 

好きなものや気晴らしになることに頼り、

元気が自然に出てくることもあるでしょう。

 

誰かに弱音を吐き、温かい励ましと癒しを受けて

また、力強く歩き出せることもあるでしょう。

 

しかし、そうして外側に求めていても

深い問題の根本に手を入れぬまま、

何だか落ち着かないで

時が過ぎていったり、

 

消えない不安が空間全体を覆って、

自分を導こうとする声も

腹落ちせず 素通りしてしまったり、

 

いったいどうしたらいいんだろう??

と焦っていることがあります。

 

 

そのメカニズムと解決法を取り入れれば

良いとわかっているはず、

知っているはずなのに、

思うように自分が始動しないとき。

 

 

何度もこういう体験をして

今から自分に推進したいのは、

「いつも、誰かを元気にできるくらいの元気さを

私の元気の標準にすること!」です。

 

 

 

そうするには、

自分に充電することが基本になり、

安易に人を心配したり、助けようとしたりする前に

周りに対して目を配る前に

落ち着いて自分を整える時間を取るのが

優先事項になります。

 

 

私には

人が元気を取り戻すために協力することに

求められれば喜んで、

求められなくても気になれば

進んで勇気を出して歩み寄っていく。

そういうところがあります。

 

 

私自身はどちらかというと元気なタイプではなく

内向的で聞き役が多いおとなし目の人です。

それと 自分自身は元気がないときに

人に手助けしてもらって回復するのは苦手です。

そのため、大半の人間関係では、

緊張や気疲れをすることが多く、

距離を縮めるプロセスに困惑して

仲良くなるのに時間がかかることも多いです。

 

 

 そんな自分が出来上がった理由の一つに、

「誰も味方がいない。」

と思ってしまった体験があります。

 

 

 

小学5年生のときでした。

 

 この頃までの私は、授業中に手を挙げて発言し、

クラスの書記にも立候補していました。

友達は少なかったけれど、

男子に話しやすい子がいました。

女子で交換日記が流行っていたときは、

誰ともやっていませんでしたが、

特に寂しいとも思わず、

自分しか見えていないところがあり、

周りの子の気持ちについては思い出せません。

 

読書感想文や写生会の絵が入賞する。

図書室の本を借りる競争で常に上位。

国語の朗読で褒められる。

 

そのくらいを頑張っていました。

 

そんな偏った性格の私の席の後ろに席替えで

みんなから鬱陶しがられていた男子が来ました。

 

 

女の子の嫌がることをするとか、

それをやめないとか、ネチネチしているとか

馴れ馴れしくて懲りないタイプの子で、

先生に目をつけられているわけでも、

クラスで

仲間外れにされているわけでも無かったけれど、

嫌な思いをしている子は複数いて、

好かれているわけではありませんでした。

私も特に気にはしていなかったものの、

できれば避けたいと思っていました。

 

 

 

あるとき、授業中か休み時間かに、

その男子が後ろから私を呼びました。

私は、机の前の方に体を乗り出しており、

誰かと話しているところでした。

呼ばれていると気づかなかったからか、

その男子は、いつもの調子で

「ねえねえ。」

と、私を呼びながら

私のお尻に鉛筆をぐいぐい押し付けてきたのです。

 

 

 

 

そのとき私は、やめてと言ったはずです。

相手はやめなくて、私は性格上、激怒しました。

 

 

相手にとっては軽いことだったかもしれません。

けれども、私は全く許せなかったのです。

自分が汚されたというくらい嫌になってしまいました。

 

 

たぶんその瞬間から、その男子が近くにいることが

嫌で嫌でしかたありませんでした。

それでその後どう会話があったにせよ、

大嫌いなその男子に触られたくなかったし、

気持ち悪くて腹立たしくて仕方なく、

 

やがて、その男子が私の机の横を通って

私の机や何かに体が触れようものなら、

手でパッパッと払うようになりました。

毎日腹が立ち、イライラしながら過ごしていました。

相手は特に態度を変えるふうでもなかったので、

私は毎日そういう行為を繰り返していました。

 

不快に思いながら過ごしていた日々、

私のことをかっこいいという人もいました。

少し支持されている気になって

私は間違ってないと思いました。

謝られることもないし、私は怒っているんだ。

そんな自分本位な判断で、

酷い奴にそれ相応の態度で接しているだけでした。

 

 

ある晩、

あの男子の母親が電話をかけてきました。

母が電話を取って、私に代わり

その母親は私の名前を確かめると

「あんたが、

うちの子をいじめる親玉だそうだねえ!!」

と大きな声で言いました。

私は、言い返すことができず、

たぶん返事と謝罪とで 精一杯でした。

私がしたことは

いけないことだということはわかりました。

その母親に耳元で

ワーワー色々言われたことは細かく思い出せません。

頭がボーッとして心が真っ暗になりました。

 

 

しばらくして担任の先生から電話がかかってきました。

母が出て、私に代わり、

先生からの指導の言葉を聞きました。

私がしたことは

いけないことだったことだけはわかりました。

 

 

この日から急展開に私の性格は、頑なさが増し、

周りに対して閉じたものになりました。

 

 

私は、クラスの女子やあの男子を嫌ってた人たちが、

それぞれどんな態度で接していたか、

あまり気づいていませんでした。

 

 

けれども

私がいじめの親玉みたいに着地して終わったとき、

当時の彼に対する接し方を思い出すと

他の人たちより

私が抜きん出ていたように思えなくても、

もしかしたら、

私が払いのける行為をするようになったことで、

他の子たちも真似をしたり、

あの男子への仲間はずれがエスカレートするように

なっていたのかもしれません。

 

その日から

今まで以上に自己否定的になり、

自分を責めていましたし、暗く重い気持ちでした。

 

 

しかし、

次第に別の気持ちも湧いてきました。

 

 

私がされて嫌だったことを

大人たちが誰も知らず終わった。

私以外の子たちは、責められなかった。

担任の先生は、私の非を諭すだけだった。

母はこの件の傍観者だった。

あの男子の母親は、一方的に私を責めた。

 

 

11歳の私にとって、

しばらく冷たい孤独な心で過ごしたこの時期

誰も味方してくれなかったという思いが

大きな出来事として体内に残りました。

 

 

 

やがて

誰かにとっての味方でありたいなどという

同情のような願いを持つようになりました。

苦しい時に離れていくようなことを

私はしないようにしようと思ったり、

信頼されることに価値を置いたり、

人の役に立つような人でありたいと思ったり、

それが自分像として大きくなっていきました。

これらは

この苦しかった思い出と繋がっています。

 

 

気づいていなかったけれど

私は、私のことを相当憎み、

長年

自分の味方になれなかったし、

人間不信、対人恐怖を内包し、

望んでもいないような自分を構築し、

どちらかというと弱い

自分を作ってきてしまったと感じます。

 

最近ようやく

 

「ありたいと思っていた価値ある自分として

生きる努力」に疲れを感じ、

何かが抜けるのを感じました。

 

 

「自分の味方になれない自分」が望んだ

背伸びした無理やりの自己像と

本来の自分とが別物であり、幻想だった。

この事実をよく見て!と

自分にいうしかありません。

 

 

私が、私の味方であることを

自分にどう浸透させていくか。

 

 

直近の課題です。