VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

赤い色

家庭科で食品添加物を知り

食べ物への見方が

なんとなく変わっていきました。

私がうんと小さかった時より、

加工食品が増えていることも、

その頃から気づいていったと思います。

 

ウインナーの赤い色。紅ショウガの赤い色。

缶詰のさくらんぼの赤い色。

実際おいしくないとも気づいて、

だんだん残すようになりました。

 

それでも、かき氷のイチゴシロップの赤い色は、

少しは苺を使っていると信じていて、

メロンやレモンの色よりも食べていました。

 

家の近くの桑畑で、

その実を摘んで紫色の果汁を取ったり、

花をすり潰して

色水を作ったりしたことがある身としては、

自然のものから色を利用することは自然でも

人工的で

普段は口に入る可能性のないものによって

食品を色付けする感覚というのは

想像できないものでした。

 

おいしいと感じる食べ物が口に入るまでには、

自然や育てた人や、料理した人がいます。

でもそこに色をつけた人と

着色料という存在が加わることで

施される作業があるのを知りました。

そこにも研究や進歩、感動、愛情があるのでしょうが、

なぜかシュールに感じるのです。

 

かと言って天然着色料なるものを知った時は、

私の考えに近くなったようで安堵したものの、

例をあげれば

虫を原材料にした有名な赤色「コチニール」は、

シュール+胸がざわつきました。

 

もう見慣れてしまった、赤い梅干し。赤い福神漬け。

黄色いたくわん。

 

今はもっと、映像として目を喜ばせるに応えた、

色のバリエーションだって豊富です。

 

市場にあるのだから、

売られているのだから美味しく食べたいですが、

美味しかったとしても

 

”私だったら、わざわざ着色しない。

絵の具を食べているようなものだ。”

 

という本能的な感覚が消えず、

まず色がつけてあると分かったものを避けて

選ぶようになっていきました。

 

家庭科の時間に見た、赤色何号という呼び名。

家庭でも使える身近なもののはずですが、

いつまでもその存在は無機質で、

私の心と体には

溶け込んでいかないものでした。