VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

感情コントロール⑴

思うようにならないことや、合わない人、

自分の考え方や体調などによって

人の感情は不安定な方向に変わります。

 

 

私はしばらく、自分にとって理不尽に感じ

どうしても反応してしまうパターンの

人間関係がありました。

 

コミュニケーションが雑になりがちな

慣れ親しんだ共依存関係です。

 

ストレートに会話すると言い争いになり、

責め合い、嫌な気持ちになりました。

 

回避するのには、こちらの対応を変えるだけでも

効果的だとわかっていますが、

自分の本音を押し殺したり、

トラウマになっていることが出てきたり、

してうまくできなくなり

何より相手を許せなくなって

失敗に終わることが大半でした。

 

この時の私の感情は、主に怒りです。

 

毎日がひどく疲れてしまう理由の一つです。

話し合うことで解決するより、

距離感を変えることで対症療法的に

緩和できるのはわかりましたが、

不意に対応する場面が来れば、

自分を整える時間がなく、感情が荒れ、

巻き込まれるような状態になってしまい

自分を保つことに失敗し、後悔しました。

 

そのために相手への思いやりよりも、

相手がいかに噛み合わない人間かの印象が

大きくなっていったと思います。

 

 

なぜ この話を書こうと思ったのかというと、

 

今までひとくくりに「嫌な気持ち」としていた

このような感情たちがそれぞれ

微妙に体感が違うのを感じたからです。

そしてそれを放置しないで

抜け出すヒントを見つけられる

気がしてきたからです。

 

 

 

 

怒り

モヤモヤ

不安

落ち込み

 

大まかにこれらを毎日ローテーションし、

一日で一番幸せに感じるのは寝る時だけ・・・

などと感じていたのですが、

 

気がつけば

一日を通して相手よりもイライラしている私。

不幸に感じて彷徨っている私。

過ぎ去っていく時間。

自分でも良いと思えない自分。

 

それを味わいすぎて気持ち悪くなり、

「怒るのをやめる」ことが

簡単でなくなっていることに気づいたら、

怒る理由に当たらない別の目的が垣間見えました。

 

 

まるで毒のような

自分を幸せにはしない目的です。

 

 

日常を俯瞰すれば、

怒ること自体が無駄と思えるような、

笑いが生まれて平和で安心感のある時間は

以前より増えているのに、なんだかもう、

いつでも平和に幸せを感じられそうでも、

心底そうはなれず、

いつも納得のいかない顔で苦しんでいました。

 

過去の記憶

被害者意識

 

それによる痛みを反復するうち、

自分が幸せになれなかったことの実証に

日々努めていたことになり、

幸せは大変な努力と苦労を要するもので

私には得ることが難しいものだと位置付け、

それが私の世界観になっていました。

 

なんということか。

無意識でしたが、

幸せになることや安心することを拒み、

受け取るはずの幸運を遠ざけ、

私と幸せは重なり合わないと証明するために

生きているような人間になっていました。

 

同時に

この負の感情をコントロールすることは

私にとって難しいことに感じ、

 

なんとなく

その時々の感情を否定せず

気持ちを変えていく方法を取るのが

良いように感じました。

 

 

大まかにいうと、

これまでの恨みがましい気持ちや

怒りなどの負の感情は

「エネルギーの臨時収入」のようなもので、

 

放置すれば無駄遣いしてしまうので、

あらかじめ使い道を決めておけば

有意義に使える資源になるのでは?

というイメージです。

 

 

 

私は、思いがけず

この仮説を思いついたことで

何かが変わる気がしておもしろくなり、

仮説の先をあれこれ考えています。