VALUE LIFE

生命を大切にする観点から、私の記憶、体験、知識などを綴ります。

たどり着く先

先日、お花を贈る機会がありました。

 

私がお願いしたい花屋さんは、

以前も依頼したことがあるお店でした。

 

そこに向かうのが出遅れてしまい、

お店に着いた時には 配達中の札が出ていて

すでに 車に乗り込もうとされていました。

 

それでも、私の用件に耳を傾けてくれたのですが

私が先方に届けたい日の前日は出張のお仕事で

仕入れが間に合わないため、日にちをずらすことになりそうでした。

 

私は、日にちをずらすこともちょっと考えました。

でも、送り先の都合を考えベストだと思った日にちだったので

今回は、別のお店に行くことにしました。

 

しかし、その時点で近辺に花屋さんが思いつかず、

他に目星をつけていたところは、そこから離れた場所でした。

 

困って車で周っていると、以前行ったことがあったところを

思い出し、そこにお願いしてみることにしました。

 

しかし、そこでは私がイメージしたお花は贈れず、

カタログからデザインを選び、送り先に近いお花屋さんが

作って届けてくれるということでした。

 

少し物足りない気持ちになりながら、そのまま話を進めて

住所などを書いていると、届ける時間を選べないとわかりました。

 

先方が受け取れる時間は決まっていて、それ以外では

手間を取らせてしまうので、書き終えた住所や名前の用紙を

手にしたまま、他を探すことになりました。

 

次のお店は、私が目星をつけていたお店の姉妹店でした。

近くにあることがわかって、急いでそこへ向かいました。

しかし、よく見ると定休日。

明るい店内を覗き込んでも 人の気配はなく

またも、足早にそこから離れなくてはなりませんでした。

 

私は、こういう時に諦めそうになり、

うまくいかないことを何度も考え、

自分の要領の悪さや状況の悪さを思って

投げやりになりそうになります。

できなかったという結果に悶え苦しむ気持ちや

妥協点で収める選択に甘んじる無念を

持ち帰り、機嫌悪くなっていることもあります。

 

 

今までも こういうことがあったのに

改善できていない事柄に直面する時間ですが

もう一つ気づくのは、ここから先に繋がる展開があると

視点が切り替わったら、結果が違ってくるということです。

 

お花を贈る一連のことを適当に済ませようと思っていなかった。

どんなお花を渡せるのかはまだ見えてこない展開だけど

もっと 心を澄ませて、たどり着きたいと思いました。

 

そして、あまり行く気のなかったお花屋さんを思い出しました。

 

そこは、カントリー雑貨と花とガーデニングが融合したお店で

雑貨が見たくて立ち寄ったり、家に飾る花を買ったりしたことが

ありましたが、夢だけが膨らんで見ている方が多いところでした。

 

 

そこには、その日も

大きな窓から光差し込む店内に所狭しと飾られた雑貨たちと

豊かなグリーンと花の色合いが温かくいきいきと密集し、

その多彩な美しさに目を止めてしまい、目的の買い物から

一瞬で気が逸れてしまいそうでした。

 

 

4件目、お花の注文はスムーズにいきました。

どんなお花を送りたいか、種類はどうするかを聞かれる時

いつも困ってしまうのですが、それもこのお店では

会話の中で簡単に決まっていき、気持ちが楽でした。

 

帰り際、雑貨を手に取って見ていきたい欲望に駆られました。

けれども、花屋巡りをしてずいぶん時間が押していたことと

納得いく着地があったことで満足したいと思い、別の機会に

ゆっくり見た方がいいと思い直しました。

 

 

振り返ると、そもそもこのようにお花を送りたかったんだと

あらためて確認するような成り行きでした。

 

 

ちゃんと、たどり着けて良かったと同時に 

それが望んでいた地点だったという結末が

とても面白いと感じました。

 

 

よく望みが叶うとか叶えるとか言いますが、

なんらかの形で、どんなことも たどり着く先があり

 

たどり着く先は 

強くイメージしたことや

深層心理で描いていたことだったり、

初めからわかっていたようだったりで

 

全く突然、脈略もなくということはなく

種子は播かれていて、芽が出たり

伏線があって結末につながったり

意識の一粒が強く影響したりと

 

見えないけれど つながっているというのも

イメージできることだなあと感じました。

 

 

目標達成や車のナビで目的地に着くことは

どこに着きたいかが明確で、道中 何があっても

別ルートを取りながらでもゴールに向かうことで

最短に合理的に力強く進んでいくイメージですが

私は今まで、消極的な態度で目標には逃げ腰でした。

 

それでも、たどり着く先があり、たどり着いた場所を見れば

自分がどこへ行きたかったのか、どうしたかったのか

自分の望みを見ることになるのかもしれません。

 

自分の思ったこと感じたことに対して、それを

どうでもいいとしたのか、大切にしようとしたのかで

ある程度、測れるものかもしれない気がしました。

 

様々な感情になれど、自分や人の思いを大切にすることは

無駄でも、悪いことでもなく、

それがどこかに繋がっていくものだとしたら

どこかにたどり着くことが決まっているし、

こうだったらいいし、嬉しい、満足という明るい方向に

予期していてもいいんじゃないかと思うようになっています。

 

 

きっとどこかにつながっていて

好むと好まざるにかかわらず

すべて形になるのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

伝える

自分が体験して良かったと思うものを

人に話したくなることが私にもあります。

 

 

たとえば、わたしの体験的には 

健康に良いものや、

体の辛いところに良かったもの、

真理や真髄を突いていると感じるもの、

人生の辛かった時に助けになったものなどが、それです。

 

 

しかしそれを伝えるにぴったりの相手は見つからず

それでも胸に溢れてくる気持ちが先立ち、求められていないと

薄々 気づいていても喋ってしまうこともあります。

 

それが良かったことを伝えたいのに、私の思考が先回りして

相手に不審に思われたらどうしようと怖がっているので

話し終えたときに、伝わっていることは一方的な熱意とか

相手に関心を持って欲しいという少し強引な空気です。

 

ですので、相手は少し困惑していたり、共感しかけたけど

やっぱり冷めた気持ちになって変な間ができる時のような

微妙な新しい関係性が進んでしまい、私自身もモヤモヤと

話したことが良かったか悪かったかわからないような

気持ちになることが多くありました。

 

自分の伝えたいことが整理できていないことが要因でもあります。

 

これがビジネスなら、初めから、計画的に伝えていかないと

相手に誤解させ、取引に結びつくのが難しいでしょう。

 

元々、自分からおしゃべりする方ではなかったので

人の話の聞き役だったことが多く、雑談も苦手な方で 

自分から発言することにはあまり慣れていないので、

いつも少し不安が生じます。

 

自分で思っていた以上に喋りすぎてしまったり

着地したいように話せないのはどうしてなんだろうと

自分でも困ることが よくありました。

 

とっさの言葉が流暢に出てこないために

気まずい空気を作ってしまうことを恐れて無理に言葉を出し

かえっておかしな空気をもたらすことを何度も体験しました。

 

それだけ 普段コミュニケーションの不具合を感じてきて

言葉を出すことに また失敗する・・・という気持ちが

まとわりつき、ずっと気が重い状態なんだとわかってきました。

 

相手の様子に合わせて、自分が発する言葉を変えることに慣れ、

その分 伝えたいことや気持ちを軽んじてきて、

私の心の中と会話にはいつの間にかギャップが生まれてしまっています。

 

そんな人知れず混乱してしまった自分に疲れて、

自分の気持ちを感じ取ってみたところ

心の中を吐き出して喋りたいとはあまり思っていなくて

伝えたいことを伝える方が好きだと気がつきました。

 

そのためには、自分を整理できている状態が必要で

書き出したり、一人で考えたり、落ち着いた状態を作るよう

心がけて、その割合を大きくしていくことです。

 

私の最近の傾向は、その気持ちが高まっているので

自然な心の動きに連動していて、少し楽しみです。

 

自分から相手に対して出てくる「伝えたいこと」や

今を生きている自分が「伝えたい」と感じることが

今以上にはっきりと輪郭を現してくることが ちょっとした

私の生きる希望であり、自分も人も活気づく、何かがよくなる

元になるのではないかと期待が湧いてきます。

 

何気なく言われたことでも、傷付いたり ホッとしたり

関係性の中で、組み合わせの妙で気持ちが生まれます。

その場で終わるようでも、後を引いて 印象になり

良きも悪しきも波紋が残り、そこから続きが始まって続いていく

というのがコミュニケーションの全体像のように感じています。

 

 

本当の気持ちだけ伝え合える世の中ではないので

様々な境遇の、立場の、性格の、タイミングの人同士

伝わってくるものも存在し、生きづらく感じることもあるものです。

 

 

また 時には

相手の伝えたいことは言葉の中にはなく

その声色や、音の中に脈打っていて、聞いているときは

わからなくても 後から気づくことがあります。

 

 

そのように、伝えたいことも、伝わってくることも

整理されていない言葉の端端から断片を受け取り

個人的に整理されて印象になっていくように思うのですが

伝えることがうまい人はそういうことがわかっていて

「どう伝えるか」意図し、研鑽されているのでしょう。

 

 

世の中で積極的にアピールされている物事も

何度も日常さりげなく存在して目にするものも

伝えようとしていることと伝わってくることと

そこから感じられる動機や目的を注視してみると

本当に伝えたいことが見えてくるかも知れません。

 

 

伝えること

伝えたいこと

伝わってくること

 

それらが交錯する中で

伝えたかったことが

なるべく残らないようにしたいです。

 

 

伝えてみないとわからないということが

私には体験不足で 行動につながらず

不安な気持ちが拭えていませんが

伝えることで 今まで見えなかったことが

見えてくるのでしょう。

 

 

もちろんそれは、少し怖いです。

 

 

伝えることに意識をむけて 実際に伝えてみて、

まず 自分の変化を感じてみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛と自由

人生の進路を決める時、いつも周りの意見を気にして

非難されない批判されない選択肢をとってきました。

 

私は この姿勢をあまり良いと思っていません。

 

親が私の人生の先々を考え、幸せの雛型を見つけ

そこへ繋がるルートはきっとこうだと予想して誘導してくれた

愛情から生ずるアドバイスを私は受け入れてきました。

 

反抗も自己主張もしたつもりですが、振り返ってみると

結局は親の意見に沿う形になっていることが多かったです。

 

素直なところも頑固なところもある子どもでしたが、

長子だったこともあり、自分の主張を通して開拓していくより

親が望む姿を目指して慎ましく成長することが望まれていると

感じていたので、生き生きとした将来の自分を想像するのが

難しく、目標は曖昧になっていきました。

 

無意識に、自分が好きな分野に近づくことをしようとしても

それが無駄なことに感じるような嫌な気分がほんのりと漂い、

好きなことに集中することは だんだんできなくなりました。

 

 

高校から先の進路を決める時、絵を描く仕事をイメージしました。

美大に進むほどの情熱もないので、グラフィックデザイナーや

イラストレーターなどになるための専門学校を目指したいと思いました。

 

パンフレットを取り寄せ、夢を思い描き、足りない画力についての

不安を持ちながらも、ワクワクした気持ちになっていました。

 

しかし、父にその希望を話してみると、将来が不安定だという

理由でやんわりと反対されました。

決して頭ごなしではありませんでしたが、

そこからさらに頑張って説得する気力はありませんでした。

その、とてもがっかりして脱力した記憶も

あまりはっきりと思い出せないのは、心のどこかで

この悪い結果をかすかに予想していた感覚があったのと

その時の私は、周りの承認を得る生き方を精一杯やってきて

もう自分のためにがんばる気力が薄かったからです。

 

自分の希望が通って応援されるという希望を持っても

自分にとっての良い道は自分では決められないという

経験からくる諦めや、自信のなさの方が大きかったので

そのような時にも自分ががっかりして壊れないように

次の答えを考えてあったり、ダメ元という言葉を念頭に

置いていたりしたのでした。

 

子どもが好きだった私は、次の希望を子どもに関する仕事と

いうふうに考えていました。正直なところ どんな子どもも

大丈夫かというと、苦手な子どもにも出会っていたので

多くの人と関わる必要のある仕事は不安でした。

 

身近な同級生で、小学校教師を目指している子がいました。

それと同じ部活の仲の良かった子が保育士を目指していました。

私たちは、時々 将来、先生になった自分たちの話をしました。

私が思い描いたのは、少人数しか子どものいないような

離島の小学校教師でした。

子どもたち一人一人を見てあげられる、島の人たちとも

顔見知りになって長くそこに住むことになるような想像です。

 

しかし、その為に進学したものの、教育実習につまずき、

採用試験も受からず、それ以上に頑張れず、教師にはなりませんでした。

 

 

父のことを嫌いになったことはなかったのですが、だんだん

父の想定するわたし像から出られなくなり、好きになる異性も

父の価値観がちらついて、それを考えねばならず、考えるほど

生きるのも苦しくなっていたと思います。

 

 

自分の価値観を私に反映させることは父にとって、

優先順位の高いことだったのかもしれません。

ただ可愛がってくれただけではなく、周りからの評価とか

私自身の特徴のうち父が好ましいと思うところから考えて

優秀は無理でも、優等生的な人間になるように

最善を尽くして 導いてくれたのでしょう。

 

父亡き今、私にしてくれた愛の関わり方から

私は 離れて行こうとしています。

 

私の経験では 愛は強く、影響を与えるものです。

父の愛の存在を強く感じるほど、私は自由でいることを

忘れてしまいました。

 

自分に自信が持てなくなり、常に借りがある気持ちで

何か人の役に立たなければいけない、

良いことをしなければいけないと

周りのことばかり考えても、いざという時は

身がすくんで自発的に動けない性格で

ますます自信が持てなくなってしまいました。

 

そして 自分の自由も人の自由も

いつの間にか尊重できなくなっていました。

 

 

そんなことになるのなら

私は、自由を尊重できる人でいたいと

今は、思っています。

 

それは簡単ではないのも感じます。

 

子どもが巣立つことを寂しいと思いながら

その背中を応援し準備を進める親たちの姿を

何度も身近に見ることがあります。

 

私の親も 最終的には私が離れていくことを許して

くれたのを思うと、そのときの背後にあった

今までで一番大きな愛を感じます。

 

 

人が人にできる最大の愛は

その自由を尊重することではないかと思います。

自分の自由を許し、人の自由を許していく時

たくさん考えることも出てくるでしょう。

 

 

それができれば生きやすい世の中になり

自由が尊重し合える関係が多ければ、

なるべく多くの人にとっての自由が守られ

笑い合って、生きていけるような気がします。

 

 

少なくとも 自由を尊重することに比重を置いたら

私は少し肩の荷が降りたように感じました。

 

 

相手の自由を尊重すると同時に

相手を守ろうと背負っていたものを相手の責任に戻し

歪な関係のバランスを取り戻す時間帯に入った私は

少し孤独に少し自由になりつつあります。

自由を尊重されることから 感謝を知り、自分を知り

挑戦したり自分のペースを知ったりできます。

 

私も、自分に自由を許し、挑戦することを見つけたいです。

今 そんなささいな自分の変化を楽しんでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二択

心身の不調が起こったとき、どのように対処していますか?

 

わたしは子どもの頃、比較的元気に生まれたはずが

幼少時はリンパ腺をよく腫らし、その度に病院へ

つれていってもらって注射や薬で治していました。

 

風邪症状では内科、虫歯治療の歯科のほかでは

湿疹ができやすく、皮膚科へ

霜焼けが悪化したときは、外科へ

何年か耳鼻科へ通っていた時期もありました。

 

小学生の時、夏風邪から肺炎を起こしかけた時は

病院が満床だったので、毎日、太い注射を打つために

1週間ほど病院に通いました。

 

 

そんなわたしは、

運動は特にしていなかったので、ソフトボールの練習では

指にボールが当たり、ヒビが入ったことがありました。

ボールを受けようとしてグローブに添えた右手の小指でした。

 

この時も、普通に病院に行ったかもしれませんが

治療のために通うことになったのは、接骨院です。

 

わたしにはここは不思議なところに思えました。

 

建物全体が日当たりが良く、同じ部屋の中に

数人の施術師と患者がいて、穏やかな会話がずっと

あちらこちらから聞こえていました。

 

わたしは右手を診てもらった後

温かいお湯の中にブクブク泡が出ている中に手を入れ

しばらくじーっと座っていました。

他には、温かい電光を当てる機械があり、

ただ、周りから聞こえてくる話し声に耳を傾けながら

周りの様子を観察しながら、座っていました。

 

その治療が終わると、先生のところへ行き、

まるで石灰のように白い色の粉を手につけられて

指にかけてのマッサージをしてもらいました。

その間、世間話のような気楽さで、聞かれるままに

日常の様子を話し、特に印象的なこともなく

通い続けて だんだん動かせるようになり

痛みもなくなって、通院は終わりました。

 

それまで通った病院とは違う雰囲気で

違ったやり方で、ヒビの入った骨を治したことは

不思議な体験と新しい考察の始まりでしたし、

温泉場のような雰囲気は気持ち的には楽でした。

 

その時は いつどうして治ったかわからないような

実感のない感覚でしたが、どこかで聞いた

治るのは本人の体が持つ自己治癒力ということも

実感として身近になった体験だったと思います。

 

時間をかけて身体を治していくプロセス。

それを実感する時間。

 

このゆっくりとした時間は体のペースを肯定し、

体の力を自然に強く出させていくのに必要な期間でした。

 

そのころは無意識だったのですが、

体を治すことに対し新しい世界が広がり

病院で治してもらうしかないという固定観念から、

それだけではなく方法は他にもあると認識が変わっていきました。

 

それとともに

健康だけでなく身の回りには、心身に影響する

様々なものがあり、それに囲まれて生きているわけですが

体を少しでも元気にしておくためには、自分でも

知っておいた方が良いことがいろいろあるとわかりました。

 

心から信頼できるお医者さんが見つかれば安心ですが、

そういった方が身近に見つかったとしても

自分の健康を 完全に人任せにできるかといえば

そう断言できるものでもありません。

 

また、病気の原因、心身の不調のそもそもの原因は

はっきりとわからないとされることが意外とあります。

 

しかし、体の不調を経験して、

知らなかった対処法に出会っていくうちに

体のことを少しは学ぶことになり

心身に影響を与える数々の要因についても

知識を得ることができました。

 

その知識は、身近になかったものですが

古い時代には普通に知られていたものや

細胞レベルで考えると理にかなっているもの、

心身のつながりを研究し突き止められたもの

自己治癒力を活性化させ、その人を強くしていくもの

など、自分の体で生きるということを

強く意識する方向に働くものでした。

 

 

そうなると、病気の予防や治療、健康維持に対して

選択肢を増やすことができました。

それは、大きな安心につながりました。

 

 

もちろん、周りに同じ考え方の人が見つからない時は

見えない暗闇を進んでいる気持ちが続き、

不安はなかなかなくなりません。

 

けれども、みんなと同じ方法が行き詰まったら、

結局、別の道を探すことになるものです。

 

完全で完璧なことは存在しない世の中で、

少しでも明るい方へ、大丈夫な方へ、生命が生き生きする方へ

選択肢を増やしていきたいものです。

 

 

現代医学を用いる方法と

自己治癒を主役にした方法。

 

どちらでも必要に応じて

自由に選択するのが当たり前の国もあるそうです。

 

 

わたしの父は、たくさん働いた人で

わたしがこの、健康に関する新しい見方を伝えると

「(仕事してお金を稼いで家族を養う役をこんなにやってるのに)

そんなこと(自分の健康管理や食生活に気をつけることまで

(自分が)やらなきゃいけないのか?」と不服そうに言っていました。

 

父が、歳の離れた兄弟たちの末っ子として晩年は頼りにされていたものの、

その中では一番早く病気で逝ってしまったことを省みると、

自分の命を人任せにしがちであったことが残念だったと思うのです。

 

 

広く知識が行き渡るように周知されたことが

多くの人の行動に移されることになります。

自己治癒力を主役にした方法は従来の方法と並んで

もっとはっきりと周知されて誰でも実行できるような

認識に変わった方が、色々と楽になることが増えると思います。

 

 

心身の健康にとって、複数の選択肢を持つことは

余裕として必要であり、最終的に自分や家族を守る砦のように

重要なものではないかと思っています。

 

 

よく見れば、

私たちは一択に追い詰められなくとも

既知と未知との二択の世界にいつでも立っていて

道はあるとはこのことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よりどころ   

まだ、子どもがちっちゃなちっちゃな頃

乳離れができず、寝かしつけに往生していました。

 

幼稚園の入園が近づき、やっとのことで

寝る前にお話を聞かせてあげることを交換条件に

納得させて、毎晩 作ったお話を聞かせました。

晴れて乳離れの後も、リクエストにより恒例となりました。

 

わたしは空想する子どもだったので、お話を創作するのは

どちらかと言えば得意でした。

 

とにかく安心して寝て欲しいと思い

物語の終わりはいつも、主人公が布団に入って

ぐっすり寝るという場面で終わることにしました。

 

ふと浮かんだ場面に動物やキッチンの道具、お姫様たちが

おしゃべりを始め、ドタバタなハプニングと美味しいもの。

みんなで笑ったり、仲間を助けたり、不思議なことが起こったり。

 

いくつもの主人公が生まれ、お話をミックスして

長編になったりして、結局 話しているうちに話が終わらず

時間延長になり、笑ってしまって寝なかったりして

寝かしつけとしては、効果は薄かったのですが

濃いコミュニケーションの時間だったと思います。

 

わたしが寝落ちて、話が止まったことに子供が怒って

叩かれたり蹴られたりしたこともありました。

疲れが溜まっていたために、うまくできず

子どもを理不尽に怒ってしまったこともあります。

 

もう少し大きくなると わたしの話にも飽きて

自分で本を読む方が面白くなって、友達が持っている

ゲーム機の方が興味が惹かれて、ステージが変わっていきました。

 

ある意味、全力でやったことだったので

わたしの中では子どもとの思い出の一部でした。

 

 

 

やがて 子どもが成長するにつれ、

親が子どもの行動を決めるような流れではなく、

相手の考えや個性を尊重していることが伝わらないと

うまくいかないと感じるようになりました。

 

 

わたし個人の経験では補えないと感じる事態が

度々起こるとき、気持ちの理解や疎通がうまくいかなくて

わからないという思いを何度もしました。

 

 

毎日あまりうまくいかなくて 気落ちしていたので

より一層、わたしの言葉は、相手にとって不快な響きを

含んでしまうようでした。

わたしの本当の心の声よりも、重く厳しく責めているように

聞こえるようでした。

 

それは困ったことでした。

伝えたいことが伝わらず、話がややこしくなりました。

 

 

本当は、ちゃんと相手の話を聞いたり、それを

受け止めたりしたかった。

なんでも話してみて欲しかった。

話したことによって、成長につながる気づきが

見つかるような雰囲気を持ちたかった。

 

 

でもそれが、わたしはできていませんでした。

 

自分を見つめると、わたしの中に子どもの自分がいて

その子が自分の気持ちを聞いて欲しがっていて、

見たもの聞いたものに対して言いたいことがあり、

誰にも充分に聞いてもらったことがありませんでした。

 

 

わたしはやっと、自分の中の子どもの話をしっかり聞いてあげないと、

この状況は変わっていかない、変えていくのは難しいと思いました。

 

 

子どもは 親との関係を入り口として

居場所のある安心感、よりどころがある感覚を育むと思います。

それが、生きていくための深いところからの力でもあって

これがあるかないかは人生に大きく関わる気がします。

 

 

 

子どもにお話を作って聞かせる前から

遊びの中でぬいぐるみの声色をわたしが担当していました。

 

プレゼントされたり、景品でもらったりしたぬいぐるみや

ミニカー、木のおもちゃに子どもが名前をつけて、

様々な物語が生まれました。

 

その中に、お母さんキャラクターのぬいぐるみがあり

それは決して声を荒げることのなく、いつも優しい言葉で語り

みんなを支える包容力とユーモアに溢れた性格で

常に大騒ぎになり、ドタバタが起こるぬいぐるみ大家族にとって

みんな大好きな心のよりどころ です。

 

 

わたしは、このキャラクターに小さなわたしの話を

心の中で、呟くように話しかけてみました。

 

 

「ねえ・・・」「あのさあ・・・」と心の中の

つらいことや、嫌だったことや、悲しいことを話しているうちに

勢いよく出てくる文句の先に、言えないで燻っていた理不尽な思いが

どのようにたたまれていたのか、紙を開くように言葉になってきたり

ま、いっか・・・と深追いしない思考に変わっていったりして

わたしの心は穏やかに落ち着いて行きました。

 

 

さらには、そんな考え方してなかったなというような

思いがけない答えを返してもらえることがありました。

 

 

誰かに聞いてもらえる体験とは、こんなにホッとした気持ちになり

安全な場所をもらって 心落ち着くことができるのかと、

思った以上の効用を感じました。

 

 

その安心した気持ちと声は、さっそく子どもと話すときにも役立ちました。

 

キャラクターが話すリズムとトーンで話をすると、

おもしろいほどに軽やかに会話が始まり、

子どもが話し出す言葉の量が違いました。

 

どうして、言葉が足りなくなってしまうのか

伝えたいことがそのまま伝わらないのかの理由は

こんなところにあったのかと思います。

 

 

心の中によりどころがあれば、だんだんそれが

できるようになっていくとわかりました。

 

 

しばらくは、このまま会話を続けて、

何かと心のよりどころに支えを得てみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見守る

人に対して、子どもに対して

「がんばって。」と言うことに

とても抵抗があります。

 

 

頑張ることに疲れたことがあり、

頑張っていた人が亡くなってしまったことがあり

頑張ってという言葉の弊害みたいなことの方が

わたしの中では大きくなってしまったからです。

 

 

ただ、子どもの持久走の応援では

「がんばれ〜!がんばれ〜!」と大きな声を出します。

中途半端に声をかけるより 思い切り応援したいと思い、

そこは名前のわかる子すべてに声をかけていたこともあります。

 

 

親の声援で反応する子もいれば、

よその親のそれに照れ臭そうに目をやる子もいれば

気を引き締めてスピードを上げる子、

だるそうに苦渋の顔で淡々と走っている子。

 

 

応援の声が背中を押すだけとは限らないなあと

そっとしておきたいと感じながらも

大変だけど走り切ってやり切った気持ちになれたら

いいなあと、思いもあって

何人もの子に声をかけるうち、結局は

全員に声をかけているということもありました。

 

親子間の応援、頑張っている人への応援は

どこか一方通行的な感じがするとも感じます。

 

 

応援の形は、声をかける他に

して欲しいことやサポートになることを

手助けすることも入っているかと思います。

 

 

わたしは、自分では応援しているつもりになって

おせっかいになっていることもよくあります。

 

頼まれていない親切や、時間の間に合っていない時の手助けが

気がつきすぎるわたしに取っての応援でした。

それしかできないと、なぜだか思い込んでいたからです。

 

 

相手にとっては嫌だったかもしれないこれらの行為は

余裕のないわたしが、人の余裕のなさをどうカバーするかに

対応策を編み出したようなもので、さりげないようで

違和感のある存在感があったと思います。

 

 

その人が自分でどうにかやっていこうとするのを

邪魔することもあったのではないでしょうか。

 

それをわたしは、すっきりしない後味として感じてきました。

 

 

子育ても子どもの年齢が進むごとに

脳裏にある、世話を必要とする姿ではなく

一人の人間が、普通の人間関係の一部として存在し、

その個性と、意志を表現してきます。

 

 

親を凌駕して独り立ちしていく過程を、

成長し、大きく変わりゆく毎日を、

応援していく形はそのままというわけにはいきません。

 

 

片手間に学んでみても

どんな形が今の状況にふさわしいのか

はっきりと手応えがないまま年月が過ぎます。

 

 

はるか先に思っていた大人の姿は

子どもの内面にはすでに成形していて

そこに気づかないままに対峙している時は

相手の応援になってないものをぶつけ続けることにも

なって、難しいものだと思います。

 

 

甘やかしや 過干渉に繋がる心理状態は

自分の成長過程を投影した欲や

自分の裁量不足を埋め合わせるための欲が

無意識に原動力になっている面もあるのに

その 擦り切れそうなその場その場の対応が

日々に成長すべく変わっていくことに

対応しきれない姿だなあと思います。

 

 

相手を尊重するために 俯瞰してみて

こうしたらどうかな?と気付くことがありました。

 

 

その提案は、今日のわたしには厳しいものだったり

今日の相手には 受け入れることが難しいものだったり

それでも、今を繰り返すよりいいんじゃないかと

思えるようなものなのですが、少々思い切りのいる事もあります。

相手の気にいる話ではないので この場合、

提案をしても ますます押し問答になるものです。

 

 

胸の中をモヤモヤさせながら、離れたあと

次にできる良いことはもう、思いつきません。

 

 

何もできない、しない方がマシ、となった時、

相手に近付かずにいる時間が無為に過ぎていきます。

 

 

けれども、相手にとっては

影響を与えられない時間であり、自分で考え体験し

自分で舵をとり、学んでいく時間に変わったということです。

 

 

そして、その何もしないで離れているわたしは

見守るということが、少しだけ わかった気がしました。

 

 

今、ここに留まっている自分が何もできないけれど

やるせない気持ちと相手を大切に考えようとする気持ち。

これが見守る姿なのでは・・・と思いました。

 

 

できることはやっていて、助けることもやっていて

相手のことを見る余裕さえあれば、できていたことでした。

 

 

 

言葉では知っていてもイメージできなかったので

わかっているけどできないと思っていました。

 

 

普段から余裕のないわたしの「見守る」は、

今までのやり方の尾をひきながらでも

少しずつ進歩させたいと思います。

 

 

見守れる人間に変貌した未来の自分が

風通しの良い関係に幸せを感じている姿を思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の見え方

自分が正しいと思っていることが

正しいように周りからも受け入れられているとき

人は精神安定を得て 安心して生きて行けます。

 

考え方の違う相手はどこにでもいて

話をすることでお互いの違いが分かると

受け入れあって距離を取ったり縮めたりします。

 

ところが

自分だけが違う考え方をしていて それが伝わり

周りからあまり良いイメージを持たれなくなり

話すほどに予期せぬ違う方向へ離れていく場合もあって

 

これは本当にどうしたものかと思うのですが

今の世の中でささやかれている「分断」を生みだす空気とは

どちらが正しいか、勝ちか、上か・・・という攻防もあり

なんとなくいつの間にか、出来上がった空気に巻き込まれて

本来 豊かに助け合いながら生きていくはずの関係でも

そうは行かなくなってしまうことは多々あります。

 

 

生きてきた立場や習慣の違いから 

それぞれの世界観を強化しながら生きています。

それに気付くのは 意見交換だけでなく

お互いの些細な反応から、私たちは自分の中で

それを分類し、自分の意見や経験と照らし合わせて

対応を変えたり、相手に合わせたり、戦ったりします。

 

そして経験から、時に 

初めから相手に対して先入観を持ち

言葉を交わす前から 関係を持たなかったり

対応を限定したりもします。

 

 

世界観の近い関係の中で生きていられたら

気持ちも楽で 自然体の自分で生きられる確率は高く

やりたい事に取り組みやすいように思います。

 

 

 

 

私は最近まで気づかなかったのですが、

自分の世界観の近い人にあまり会えていないまま

きてしまったのではないかと思っています。

 

子どもの頃に周りの子どもの気持ちに共感できなかったし、

周りの大人の微妙な態度を理解するのに苦しかったし、

安心して入り浸れそうになった場所でも無理をしていました。

 

緩やかな時代で、恵まれていなかったわけではないので

周りから見たら私のこの思いとは違うと思います。

 

努力して周りから浮かないように、

周りを優先し、合わせるように頑張っていました。

親が望んだ私の未来は「普通でいい」と言われていて、

反抗期でさえ、最終的には罪悪感が湧いてきて

親の言うことを受け入れていました。

 

親から離れた後も、

そのころの習慣による考え方は根付き、

漠然とした不自由な自分を感じます。

 

内向的なことを周知されるのが不利なことと感じ、

なんとか積極的になる努力もしたつもりですが、

受身な態度と臆病さが かえって目立ち、

集団の中でぎこちなさ、居心地の悪さを

感じる場面も多い方でした。

 

 

 

しかし、親になり必要で人と話すうちに変わった面もあります。

親としての世界が始まって、親初心者として体験する物事が

年月をかけて世界観を変えていきました。

子ども好きだと思っていた若い頃とは全く違う見え方で

子どもを見ている目を持つようになっていました。

親という立場になったから見えてきたことでした。

 

 

そして、親になっても変わらず、不自由を感じるのは

努力して周りから浮かないように馴染むことです。

周りとやっていることが違っていて、

自分はそれが良いと思うからやっているけれど

一般的ではない、ごく少数派なことに対して

堂々としていられないところがあります。

人と違うことで避けられてしまうことが怖いですし、

理解を得るための努力がとても疲れること知ってしまって

人との距離を縮める努力に気が重くなっています。

 

どうにもならない閉塞感から

それも仕方ないことだと思ってみると少し気持ちも

楽になり、自分を責めずに考えてみると

 

これは世界の見え方の違いが大きいのではないかと

気がつきました。

 

そして

この人生のわりと初めの方から、

そういうことだったのではないかと感じました。

 

 

心から安心している環境から見える世界と

不安や暗雲を感じながらの世界の景色も

違って見えるものです。

 

 

同じ世界のようだけれど

正確には違う世界を見ているのだから、

価値観も全く違ってしまうということです。

 

 

正しいと見ていることも違う世界観では、

正しいものではなくなり、逆の解釈になります。

 

そのせいで、話していても平行線になるとか

話が噛み合わなくなる事は よくあると思います。

 

 

そういう時には

もっと見極めようとする姿勢が持てれば

見えてくるものが それなりに変わってきます。

 

 

未知の事実に出会い、混乱を引き起こすこともありますが

最終的に自分で考え、自分の意見を持つ位置まで来て

あとはそれを自分としてはどうしていくのか決める。

 

 

それは 自分の世界観の構築に影響する時間です。

 

 

世界の見え方が 少しだけ変わる時はいつも身近にあって

うまくいったことも、いかなかったことも

この先の人生に生きてくるということが

後になってから、実感を持って思えるときがあります。

 

 

どうしても譲れないことが何なのか、

これからは どんな世界を見たいのか、

もしかしたら私たちはもっと選べるのかもしれません。

 

 

正しいのか、間違っているのか・・・。 

 

少しだけそこから目を離し、

見極めようとする目を持って

鋭く見たり、眺めたり。

 

本来、そもそも、元々・・・

という立ち位置にも移動してみたり。

 

それまで気づかなかった発見に戸惑いつつも 

自分の方向性が見えてくることは心強いことです。

 

違う見方をする相手の世界がどうであれ

自分の世界の見え方が成長することで

お互いの世界が見えていくような気がしました。

 

 

きっと人の目的は、突き詰めれば

シンプルで普遍的で幸せなものでしょう。

 

 

そんな話ができるくらいに

世界観を出し合えたら面白いと思います。